第73話 亀、亀って、竜なんだからね!
湖の北側は普通の森が広がっていた。地面の獣道を歩いていても木漏れ日が注いでくるような、いたって普通の森だ。
つまり、棲んでいる獣も普通の獣で、巨大獣が徘徊しているようなこともない。
翌朝、水トカゲを狩り一行は帰路につく。
一人一匹ということで全七匹を納品し、儲けは一人金貨二枚だ。
「こんなもんですか。」
「いや、こんなもんで十分だろう。肉祭りは諦めろ。そう簡単にあのデカブツは仕留められんぞ。」
「そうですね。エレアーネの光の盾でも、突進を防ぎきれそうにないですからね。」
光の盾を使いまくってはいるものの、エレアーネは光属性には適性がない。低級ならばともかく中級以上の盾は扱えないのだ。
光属性に適性を持つミキナリーノがいれば、なんとかなるんじゃないかと思いつつも、隣国の商人を狩りに引っ張っていくわけにもいかない。
ため息を吐きつつも、裕は「仕方がない」と諦める。
「そう言えば、あの亀はどうするの?」
「亀?」
「ああ、二日前に巨大な亀を仕留めたんですよ。ちょっと問題があって持って帰ってきていないんですが。」
「問題?」
「ウロコが硬すぎて解体できないのと、肉が恐ろしく臭いんですよ。甲羅とかウロコとかは欲しいんですけど。まあ、あの硬さだと、硬すぎて加工できないかもしれないんですけどね。」
裕の話に、アサトクナは興味を持ったようだ。場所や大きさなど詳しく聞いてくる。
「んじゃ、いっちょ見に行ってみるか?」
「何も収穫がないかもしれませんよ?」
「あるかもしれねえ。どうせ隊商は来週なんだ、俺たちもそれまではやることがないんだよ。」
その隊商は裕も一緒に行くことになっている。それまでこれといったやることがないのも一緒だ。塩を取りに行くのは一日でできる。
翌日、裕たちは朝から南東へと出発した。
紅蓮の速さをもってすれば、四十キロ少々の距離なんて一時間半もあれば着いてしまう。
「大人はズルいです……」
裕は珍しく変な愚痴を口にする。
「お前だって何年かして大きくなれば……、って、そういえばヨシノって去年から全然大きくなってないんじゃねえか?」
「人が気にしていることを!」
そう、裕の身長は一年前から変わっているようには見えない。
いや、厳密に言うと、一ミリも身長は伸びていない。
「ヨシノってさ、縮んでない?」
「縮んでません! エレアーネがにょきにょきと大きくなってるんですよ!」
成長期真っ盛りのエレアーネは、一年で九センチくらいは背が伸びている。そして、裕はゼロだ。
「私は魔族ですから成長がきっと遅いのです……」
変な言い訳をするが、魔族は関係ない。
裕は三十六歳なのだから、いや三十七歳になっているのか。まあ、どちらでもいい。そんな歳で成長なんてするわけがない。そんなことは当たり前だろう。
日本にいた頃だって、ここ十年は身長に変化などなかったはずだ。異世界に来た途端に、にょきにょきと伸びるなんてことはない。
子どもになったつもりもないくせに、何を言っているのだろうか。
「そんなことはどうでも良い。それで、亀ってのは何処だ?」
「この下です。」
しょんぼりしている裕にはお構いなしにアサトクナは話を進めようとする。この男も結構せっかちだ。
裕が指す大地の裂け目は底が見えない。いや、エレアーネには見えるようだが、裕には見えないし、アサトクナにも見えないようだ。
裕は念のためにと、以前と同じように枝を放り込んでみるが、やはり特に何も起きない。
「では行きますよ。」
「今のは何の意味があるんだ?」
「上から落ちてきたものを狙うような獣が途中にいないかの確認ですよ。安全第一です。」
崖を下りるときは当たり前の確認作業だと裕は胸を張る。
重力遮断を調整して、秒速五センチメートルなどとケチなことは言わず、秒速五メートルほどで下降していく。
それでも、底に着くまで二百秒以上もかかるのだ。恐ろしい深さである。
よく水が溜まらないな。雨水は何処に流れていくのだろう?
「あれですね。」
裕はあれと言うが、暗がりの中に大きな塊がいくつも見える。
「あれって言われてもなあ……」
「ちょっと分からねえな。岩と区別がつかねえぞ?」
距離があるし、目を凝らして見てもよく分からない。裕が陽光召喚すると、はっきりと見えるようになる。
「何だありゃあ?」
ひっくり返ったままの八足亀にはネズミが群がっていた。
ウロコの隙間から、腐った液体が滲み出てきている。それをひたすら舐めているのだ。亀の頭部に取り付いたネズミは、口や目のところから、中身に嚙りついている。
「何処から出てきたんでしょう? このネズミたちは。」
百匹はくだらない大群に、裕は嫌そうな顔をする。
水の玉を投げつけたり、槍で払ったりしてネズミを追い払うと、タナササが掛け声とともに、斧を亀の足に打ちつける。
だが、その刃は全く通じない。ウロコに簡単に弾かれてしまった。
「うおおお?」
「タナササさんじゃ無理ですよ。というか、そんな普通の斧じゃダメです。無駄です。無理です。神話に出てくるような武器とかじゃないと……」
「そんなの誰が持ってるんだよ。」
裕の言いっぷりにタナササは憤慨するが、何度やってみても、ウロコには傷一つつけられない。刃が立たないとはこのことか。
「これならどうだ?」
「第四級の水の槍は効かなかったよ。」
ならばとばかりに魔法陣を描き始めたハラバラスにエレアーネは釘をさす。
「舐めんな! 六級魔法だよ。食らえッ!」
叫んで魔法を完成させて巨大な水の槍を足めがけて叩き込む。
盛大な飛沫が上がり、亀の足は勢いに押されて激しく振り回される。
だが、それだけだった。
「マジかよ!」
貫くとか押し潰すどころか、なにか傷がついたようにすら見えない。驚愕の声を上げたのはハラバラスだけではない。
「ちょっとまて。どうやってこんなのを倒したんだ? 斧も魔法も全く効かねえじゃねえか!」
「いつものやつですよ。」
裕は上を指して答える。
「崖の上まで浮かび上がらせて、そこから落としました。」
「それでも外側は無傷ってどういうことだよ……」
『紅蓮』も呆れるばかりの耐久力である。本当に一体どんな材質でできているのやら、全くファンタジーである。
「なんとか、ウロコの隙間にナイフを入れて剥がしていくしかない感じでしょうかね。あ、そういえば私の最強の攻撃を試していませんでした。」
アサトクナたちは裕の最強攻撃と聞いて面白そうに「やってみろ」とあおりたてる。
「やたらと時間が掛かるので、あまり実用的じゃないんですけどね。危ないので少し離れていてください。エレアーネは光の盾を。」
裕はそう言って二十メートルほど距離を取る。紅蓮とエレアーネも裕の後ろにまで下がり、前方に光の盾を並べる。
そして、裕の自称最強魔法が放たれた。
「ギガレーザー!」
明かりの陽光召喚を消してまで全神経を集中して、凄まじい熱量を一点に収束して加熱する。
ブシュウウウ、と物凄い音を立てているのは一気に沸騰している腐液だ。赤光を放つ魔法の周辺には勢いよく湯気が上がる。
だがそれも十数秒で終わる。すぐに水分がなくなり、目に見える変化といえば、揺らめく陽炎のみだ。
かなりの高熱にさらされているはずなのだが、ウロコそのものは特に変化しているように見えない。
「……全然効いているように見えねえぞ?」
決してバカにして言っているわけではない。むしろ亀の耐久力に呆れている感じだ。タナササにだって、裕の炎熱召喚がかなりの火力を持っていることは知っている。
「……まだだ。まだ終わらんよ! ハラバラスさん、私が合図をしたら、あそこに水をたっぷり注いでください。エレアーネは光の盾に集中を。」
「水?」
「そうです。全員伏せて耳を塞いでください。」
エレアーネが光の壁をドーム状に広げ、全員が身を低くすると、裕が合図を出す。
そして。
凄まじい轟音が谷間に響き渡った。