72話 トラウマ

「今日は北東方面にいってみますか。」

裕の提案に、エレアーネは反対もなにもない。

「そういえば、北東と言えば水トカゲですね。値段の確認をしてから行きましょうか。」

以前に水トカゲ狩りに行ったのはちょうど一年ほど前だ。ふと思い出して、ハンター組合へ向かう。

壁に掲載された値段は一匹金貨二枚だ。カウンターで確認してみるが、金額に変更はなし。そして、他に水トカゲ狩りに向かっているチームもいないらしい。

「水トカゲだって?」

唐突に裕の背後から知った声が掛けられた。

「チッ、見つかったか……」

「おいおいご挨拶だな。そんなに嫌かよ!」

「冗談ですよ。紅蓮も行きますか?」

「そうさせてもらえると良いんだがな。」

「お時間は大丈夫ですか? 今年も肉祭りをやりたいんで、良い狩場がないか探しているんですよ。ついでに周辺の探索もしたいんです。」

紅蓮にも今のところは予定は特にないらしく、一緒に行くことになった。

一泊か二泊の野宿をする前提の旅支度はすぐに終わる。紅蓮のホームに行って二分ほどで、全員が準備を整えて家を出てきた。

「じゃあ、かっ飛ばして行きますよ!」

街門を出るとすぐに、裕の掛け声とともに全速で走っていく。とはいっても裕とエレアーネが走るのは最初だけだ。『紅蓮』のスピードについていけない子ども二人は宙に浮いて引っ張られていく。

流石に大人の走る速さは早い。紅蓮は裕と狩に行くときは重装備をしないことにしているのも大きいのだが。

昨年とは違い、何度かの重力遮断走行を経験した『紅蓮』の巡行速度は時速三十キロを超える。

つまり、目的地までの約八十キロは、二時間ちょっとで着く計算だ。

途中で休憩をとるので、水トカゲの住処となっている湖に到着したのは実際には三時間ほどである。

「なあ、これ、日帰りでできるんじゃねえか?」

「どうでしょう? 帰りはもっと時間が掛かりますよ? 閉門に間に合えば良いですけど……、もし間に合わなかったら、水トカゲの鮮度が落ちちゃいますよ?」

「まあ良いさ。今日は探索とか言ってたろ? どこへ行くんだ?」

時間はまだ昼にもなっていない。一泊野宿をするとなれば、水トカゲ狩りは翌朝になる。鮮度の都合上、狩ったらすぐに帰りたいのだ。

「ここの東側がどうなっているか知りたいのです。」

「東って、山だぞ?」

岩塩の採れる崖の奥側が、北に行くほど段々と高く盛り上がり、この辺りでは立派な山になっているのだ。

「去年の肉祭りができるような獣を狩れる場所がないか探したいんです。」

「お肉祭りしたい!」

裕とエレアーネはやる気満々だ。とくにエレアーネは「お肉! お肉!」とやたらとボルテージが高い。

「とりあえず、あの山に行ってみましょう!」

ということで、東へと走り、そのまま山を登って峰にまで達する。

「なんだこれ?」

「すげえなおい。」

山の上からの光景に、興奮気味に声を上げる。

険しい山を少し下った先には広大な草原がどこまでも広がっていた。良く晴れた青空に、緑のコントラストが眩しい。

「よし、行ってみるか!」

「ダメです! 今すぐ戻ってください!」

駆けだそうとした紅蓮に、裕が悲鳴のような声で止める。

「どうした? 何かあったか?」

「説明は後でします。今、すぐに水トカゲの所まで戻ります。」

慌てて足を止めた紅蓮に有無を言わせず撤退指示を出す。

振り向き、走り出す裕はの顔色は非常に悪い。

「おい、大丈夫か?」

アサトクナが声を掛けるも、裕の返事は無い。

「仕方ねえな。」

裕の首根っこをわしっと掴んで引き寄せ、アサトクナは脇に抱え込んで走る。

「あの辺で休んでいこうぜ。」

タナササが川辺に少しひらけた場所を見つけて、一行はそちらへ向かって行く。

「おい、本当に大丈夫か? 何があった?」

ぐったりとした様子の裕に、心配の声を掛ける。

が、裕は返事の代わりに嘔吐した。

ひとしきり吐いた後、裕はよろよろと川の水で口を漱ぎ、顔を洗う。

「すみません。まさか、こんな……、色々と想定外です。」

『紅蓮』やエレアーネとしても、裕がとつぜんくたばるのは想定外だろう。だが、さすがにそんなツッコミは入らない。

「あの先は、ダメです。絶対に行ってはいけません。」

「どうしたんだ? 俺には何かいるようには見えなかったが。」

獣が隠れる場所なんてありそうもない、見通しの良い一面の草原である。そこに何の危険があるのかとタナササは訝しがる。

「エレアーネはどう思いました?」

「えーと、危なさそうな魔獣とかはいないなって。」

「別に危なくもなさそうな、シカやヤギなどは?」

「……いなかった。」

「それは何故?」

裕の言っている意味が分からないのか、エレアーネは首を傾げる。

『紅蓮』でもそこの考えに至れないのかと、裕はため息を吐く。だが、こればかりは、普通、経験することはできない。そんな場面に遭遇することもめったにない。

「何故、オオカミやクマも、魔獣もいないのに、シカやヤギはのんびり草を食んでいないのです? 本当に危険がないなら、あんな快適そうな場所なんですから、のんびりすれば良いじゃないですか。」

「要するに、敵がいるのが分かりきってるから近づいてこない、ってことか?」

「それ以外に理由なんてありませんよ。」

裕はキッパリと断言する。

ただし、その『敵』が肉食獣とは限らない。毒ガスの類が充満している可能性もあるし、毒草がびっしりと生えているのかも知れない。

一見、快適そうに見えるのに、獣一匹いないというのは不自然なのだ。森がすぐ近くにあるのに、草原に広がっていかないのは明らかに変なのだ。

「なるほど。ヨシノの言いたいことは分かった。だが、どこに、どんな敵がいるんだ?」

「一年ほど前、初めて会った時に説明したでしょう? 私は姿も見えない遥か地平の彼方からの攻撃で、殺されそうになったって。」

「大っきな岩を一撃で吹き飛ばすって化物のこと?」

「そうです。」

裕は顔を上げてハッキリと断言した。

「私が攻撃を受けた場所と、あそこはそっくりなんです。獣が全く見当たらないことも、木の一本も生えていない草原が広がっているのも、その周囲には森があることも、遠くに湖が見えることも。」

そう言う裕の顔は苦しそうに歪む。

「少なくとも、あの草原をあの状態に保てる何かがいるんです。畑なんて、人が手を入れて世話を続けなければ、二十年で林になりますよ。五十年あれば全部森になります。」

「だから、絶対にダメす。」

「でも、ヨシノが襲われた奴とは違うんだろう?」

「場所がちがいますからね。おそらく違う相手でしょう。こっちの奴に見つかったら、逃げても追いかけてくるかもしれませんね。南の奴は山を越えて逃げた相手には興味なさそうでしたけど。」

裕の言葉に、全員が一斉に山を仰ぎ見る。

「こ、来ないよな?」

「そもそも見つかってないだろう? たぶん大丈夫だろ。たぶん……」

ホリタカサが楽観論で終わらせようとするも、その顔は引き攣っている。いや、平然としている者はいない。

「分かった。ヨシノが会った奴の同類なのか、全く別の奴か知らんが、とにかくとんでもない奴があの山の向こうにいるってわけだな。」

「私が攻撃されたのは、湖が見えた方角からでした。もしかしたら水辺に棲む種類のものなのかもしれません。」

「なるほどな。だが、確認しようのない情報は今はどうでも良い。問題はそいつがこっちに来るか、来ないかだけだ。」

アサトクナは、考えても仕方が無いことはバッサリと切り捨てる。今、あるいは今後、危険があるのかと言うことだけに話を絞る。

「おそらく、見つかっていません。私たちがいたのはまだ森の方でしたし、草原に出る前に戻りましたから。」

万が一見つかっていたとしても、すぐに逃げているし、追いかけてくる危険性はほぼ無いと裕は述べる。それで追いかけてくるタイプなら、あんなところに森と草原の境界は無いはずなのだ。森があると言うことは、今まではその境界を越えての攻撃はしていないということである。

「なるほど。理屈だな。」

アサトクナは納得したとばかりに大きく頷いた。

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