第70話 止まってなどいられない
裕は早速、魔石作りに取り掛かる。
が、逸ってはいけない。まずは、道具を揃える必要がある。鍋や薬缶、石臼にすり鉢、燻製箱、そして、加工した薬草類を保管しておくための壺だ。
これらはそこらで売っているものを使えるが、その場合は、最低品質の魔石しか作ることができない。
不死魔導士の研究所から得た本によると、高品質な魔石を作るには魔石を材料にした道具が必要になるのだ。それを一式そろえようとすると金貨が飛んでいく。
本に書いてある薬草は既に揃っている。必要な薬草は、エレアーネの持つ薬草大事典に全部載っており、それを森で探してくるだけだったのだ。こちらは買う必要がなかったので無料だ。
すり潰したり、煮たり、煎じたり、燻したりと薬草の加工を進めるとともに、よく磨いた魔牛の角と鱗を焼いた上で粉砕する。
最後に、それらの分量を細かく計りながら鉢に入れて、魔力を注ぎ込みながら箆でかき混ぜる。
「くっそおおお、これ、どんだけやれば良いんだ?」
裕は延々とかき混ぜ続けるが、一向に期待される反応が起きない。
本によれば、材料を鉢でかき混ぜていると魔力が結晶化し、それが少しずつ大きくなっていくことになっているのだが、全然その気配がないのだ。
「ダメだこれ。何か手順間違えたか……?」
体力も魔力も尽きそうになり、裕はぐったりとする。
「魔力を籠めて混ぜればいいの?」
興味津々といった様子でエレアーネがやってみる。
と、何かカラカラと音が鳴り始めた。
「な、なにぃぃいいぃ!」
衝撃である。エレアーネは一瞬でできてしまった。
「ヨシノが途中までやってたからじゃないの?」
エレアーネは慰めるようにいうが、裕の気持ちはそれでは晴れない。「うぐぐぐ」なんて唸っているうちに魔石は完成した。
薬草やウロコなどは綺麗に丸まって魔力と一緒に結晶化している。
「これで出来上がり? なんか、前に見たのと違うよ?」
「道具が安物ですからね。品質が低いとこうなるのでしょう。」
直径二センチほどの緑の玉は、少しくすんだ色をしている。以前に買ったものや、研究所に大量に保管されていたものは、もっと鮮やかな色をしていたはずだ。
裕は苦い顔をしながら、材料を鉢に入れてエレアーネに渡す。
「最初からやってみてください。」
エレアーネが箆でかき混ぜていると、十秒ほどでカラカラと結晶化し始める。
「何でだ! 何故エレアーネにできて私にできないのですか! 私には才能がないとでもいうのですか!」
裕は天を仰ぎ慟哭する。エレアーネは申し訳なさそうな顔をするが、別に彼女は何も悪くない。
裕に才能がないのはエレアーネのせいじゃないのだから。
一分も経たずにカラカラと乾いた音を立てて、二個目の魔石が完成する。裕が一時間近く頑張っていたのは何だったのかという話だ。
出来上がった魔石は、やはりくすんだ緑色だ。
「結構疲れるねこれ。」
エレアーネは魔石を手に取り、しげしげと見つめる。
「ううう、私のお金ガッポガッポ計画が……」
裕は魔石を作って大儲けするつもりだったようだが、自分でできないと分かり、いきなり計画は頓挫した。
「私が作っても良いよ?」
「それはお願いしますが、量産するのは冬の間ですね。雪が積もったら暇になるでしょう?」
冬期間は雪と氷に閉ざされ、外での活動はほどんどできることがなくなる。その間に魔石作りをしようということだ。
だが、それでは資金が心許ない。魔石作りの道具もアップグレードしなければならないのだ。冬籠りの前に、お金を稼いでおく必要がある。
「今年も肉祭りをやりますか……」
「大丈夫なの? 危ないからやらないって言ってなかったっけ?」
「もうちょっと安全に狩れる場所がないか探してみましょう。」
軽く旅支度を整えて翌朝から東方面に探索に出かけていく。二人とも森の上を走るのは慣れたものだ、塩の採れる崖に着くまでそう時間はかからない。
「ここから南に行ってみます。崖の上は後にしましょう。」
崖沿いに、森の上を南へと走っていく。間違っても下には下りない。
崖の岩塩の層は結構長く続いている。南北に三キロほどピンク色の層が続いている。
崖から岩塩層が見えなくなると、森の勢力が強まり枝葉と崖の隙間が無くなる。
その先、をさらに数分進んでいくと、崖の高さが低くなってくる。
ここまでは裕は以前にも来たことがあるが、この先は未踏のエリアだ。たぶん、人類未踏なのではなかろうか。
一時間ほど森の上をひたすら南下していくが、崖は相も変わらず数百メートルの岩肌を垂直に晒している。
「これ、どこまで続くの?」
いくら進んでも景色が変わらず、いい加減ウンザリしてきたようにエレアーネが愚痴る。
「あの山の向こうまで、ってことはないと思うのですが……」
裕もだんだんと不安になってくる。正面方向、つまり南側に連なる山がどんどん近づいてきているのだ。
何十キロも崖が続くというのはそうそうあることではない。グランドキャニオンのような谷ならばともかく、片側だけというのは地層がズレることで起きるはずで、これができたときは壊滅的な震災に見舞われたのではないだろうか。
「だんだん東に曲がっていますね。南の山には行かなさそうですよ。」
既に、塩の採掘場所から二時間ほど進んでいる。裕は太陽を見上げて方角を確認する。
「ずっと森しかないよ? 木の大きさも分かんないし、こんなんじゃ狩なんてできないよ?」
「もうちょっとだけ行ってみましょう。あと一時間行って何もなかったら、崖の上から戻ってみましょうか。」
だが、それから四分ほどで景色に変化が現れた。
切り立った崖の終わりが見えたわけではない。唐突に、足元の森が切れているのだ。
「これは一体何がどうなったらこんなことに……」
裕の眼下には切り立った崖が続いていた。
大地が叩き切られたように裂けているのだ。その幅は二、三百メートルはあろうか。恐る恐る下を覗いてみると、その深さは百メートルや二百メートルではない。
底まで陽の光が届いておらず、暗闇が広がっている。
「下に何かいるよ?」
「どこですか? 全然分からないですね……」
エレアーネの視力は一体どうなっているのだろうか。暗い裂け目の底に動くものを見つける。だが、裕にはまったく分からないようだ。
「降りてみる?」
「ちょっと待ってください。」
裕は手近な枝を一本折り、谷の底に投げ込んでみる。
だが、何かが動く反応は無い。
絶壁に潜むものがあれば、何らかの反応をしても良いはずだ。だが、何本かの枝を落としてみても、何かが出てくるような様子はない。
もうちょっと見えないかと陽光召喚を投げ込んでみるが、逆にそれが眩しすぎて余計に下が見えない。諦めて明かりは消した。
「よし、行ってみましょう。光の盾をいつでも出せるようにしておいてください。合図をしたら、蹴飛ばして跳び上がれるようなところに出してください。」
エレアーネは頷き、二人は岩壁沿ってそろそろと下りていく。途中には人が乗れるような岩棚も横穴も特に見当たらなく、千メートルのロッククライミングができなければ底から出てくることはできないだろう。
「ほら、あれ。」
半分ほど下りたところでエレアーネが指差し、裕は陽光召喚を浮かべてみる。
その光に照らされて、谷底を這い回る魔物の姿が裕の目にも映った。
棘だらけの甲羅はほぼ円形。そこから八本の短い足に二本の尾が生え、やたらと長い首が伸びている。
距離感がつかめないため、サイズ感はイマイチわからないが。一メートルや二メートルではないことは確かだ。甲羅の直径は少なくとも四メートルはあるだろう。
谷の底に見えるのはその一匹だけで、他に動くものは見当たらない。