第65話 泥棒じゃないんだからね!
般若心経に魔力の全てを注ぎ込んだ裕が、立って歩けるほどまで回復したのは二時間ほど経過してからだった。
かろうじて重力遮断を発動し、よろよろと、いや、ふわふわと沢を下っていく。
「ヨシノゥユー!」
「無事だったか。随分と遅かったじゃないか。何があったんだ?」
裕が長らく帰って来ないことに心配していたミキナリーノやミドナリフフは、裕の姿を見て駆け寄る。
「ご心配をおかけしました。もう大丈夫です。」
「やったのか?」
「はい、とりあえずは。ですが、復活の仕組みを解明しないと、そのうちまた復活してくるかもしれません。」
一度倒しても時間が経てば復活するから『不死』と呼ばれるのだ。岩の下敷きにするなどによって、復活しても動くことができなくしておかなければ気が休まるまい。
「ただ、今日はもう休ませてください。本当にもう限界です……」
裕はぐったりと草むらに座り込む。
そろそろ日も傾き、夕暮れが迫っている。今から遺跡に向かっても、着く頃には日没になってしまうだろう。
裕たちが今いる場所は山の東側の麓である。初夏とはいえ、山の向こうに日が沈むのは結構早い。
今夜は野宿をすることになる。その場に野営を張り、遺跡の研究所に向かうのは翌朝に持ち越しだ。
翌朝は、日の出から山を登り始める。馬がいるため、重力遮断走行は使えない。オレオクジオたち『春茨』ならともかく、馬に重力遮断をかければパニックに陥るのは目に見えている。
ひたすら歩いて沢を登り、途中に放置していた馬車を回収する。
「帰ったら修理が必要だな……」
痛みの激しい馬車を見て、ミドナリフフがやれやれと首を振る。
それでも、馬で曳いて進むことはできそうだ。もちろん、大小の岩がゴロゴロしている川原では重力遮断無しに進むことはできないが。
馬にハーネスを繋ぐと、ミキナリーノとカトナリエスは馬車に乗り込む。ミドナリフフは御者台だ。
そして、そこから少し進んだ先には、巨大な骨が転がっている。
「なあ、これ一体何の骨だ? デカすぎだろ。」
沢に山となっている骸骨の化物だった残骸を除けながら、オレオクジオがボヤく。骨が邪魔で、馬車が通れないのだ。
「これくらいのイノシシは狩ったことがありますよ。」
「イノシシがそんなにデカいわけないだろう。」
「美味しかったよ? 食べても食べても、お肉いっぱいなの!」
オレオクジオは裕の話をホラ話だと決めつけるが、エレアーネがそれを否定する。
「そんなの、どこにいるんだよ……」
「深い森の奥です。私でなければ行けません。」
「森の中は苦手とか言ってなかったか?」
「森の上を行くんですよ!」
オレオクジオとアミエーニエは重力遮断走行の経験があるが、森の上を走ったことはない。裕の非常識な主張に頭を抱えるのだった。
「そんな話はどうでもいいが、これ、生き返ってこないんだろうな……?」
不安そうに骨の山を見上げるのは斧士だ。一度生き返ってきているのだから、また生き返っても不思議はあるまい。
「心配なら、粉々に砕いてやった方が良いんじゃないですか?」
裕に言われて、オレオクジオたちは鉈や斧を手に、骨を砕き折っていく。復活するにしても、細かく砕いておけば時間が掛かるだろうということを期待して。
砕きへし折りはするものの、化物の骨は川辺に残していくことになる。一々こんなものを運んでなどいられない。
一通りの作業を終えて、少し進むとようやく遺跡へ到着する。目的地の研究所はそのさらに奥なのだが、遺跡自体は比較的平坦なので馬車の進みも早い。
昼過ぎに研究所前に到着し、そこで一度休憩を取ると、ミドナリフフたちは早速荷物の運び出しだ。
用途不明の道具類はとりあえず後回しだ。価値が分かっている魔石を優先に木箱に詰めていく。輸送する間に傷ついたり割れてしまったりしないよう、一つ一つを丁寧に布で包んでいく。魔石の数は大小合わせて百を超える。全部を詰め込むのに七十センチ立方程度の木箱三つを要することになった。
一方、裕は『春茨』と洞穴内や周辺の探索について話をする。
本の回収を急ぎたいところではあるが、本当に安全なのかの確認は大事である。
「オレオクジオさんたちは地下洞探索の経験はありますか?」
「いや、無いが何かあるのか? 必要な物は見つけたんじゃないのか?」
「ええ、ちょっと素人が手を出したくない場所があるのですよ。」
「ほう? どんなところだ?」
オレオクジオは話には興味はあるようで、裕は異臭の酷い扉に案内する。
「この奥なんですが、私は毒や罠の対処を知らないのです。」
オレオクジオは恐る恐る扉を開けて、そしてすぐに閉めた。
「いや、お前、中見てないじゃん?」
「無理だ無理だ無理だ。いくらなんでもダメだろこれは。」
扉から離れていたカーズトキはツッコミを入れるが、直接その臭いを嗅いだオレオクジオはそれどころじゃない。もがき、這うようにして扉から離れてうずくまり、涙と鼻汁で顔を汚す。
それほどに臭いが酷いのだ。
「お、おい、一体何があるんだ?」
「分かりません。調べたいとは思うのですが、あの空気では立ち入る気にもなれないんですよ。」
扉を開けた時に漏れ出てきた臭気でさえ、吐気を催すくらいだ。何の対策もなく中に入っていけば、間違いなく健康を害するだろう。下手をしなくても、命に関わるかもしれない。
「人が入っていけるのか?」
「探索が得意なハンターは何らかの対処法を持っているのかなと思うのですが……」
「済まんが、俺たちには無理だ。」
結局、臭い扉は放置することになった。何かがあるにしても、ここに入っていける者はそうはいないだろう。
調査をするには、探索の得意なハンターを探すしかない。
「じゃあ、私は周辺の魔物でも狩にいってきますね。皆さんはこちらの警護をお願いします。」
そうは言うが、裕の目的は遺跡の調査だ。
この遺跡が廃墟になってから少なくとも千年は経っていそうだが、明らかに道路は舗装されていた痕跡が残っているし、建物の残骸は鉄筋コンクリート製に見える。
つまり、この遺跡が作られたころは、現在よりも文明のレベルが高かったということだ。
「ねえ、エレアーネ。何でこの町はここで切れているんでしょうね?」
裕は遺跡の縁に立って、境界の向こう側とこちら側を見比べる。
「そうやって作ったんじゃないの?」
エレアーネは当たり前のように言うが、いくらなんでも不自然すぎる。
建物が建てられるエリアに境界線があるのはまだしも、道路が突然切れてしまうのはどうしても違和感がある。
「考えるのは一旦おあずけですね。」
裕は顔を上げて森の奥に目を向ける。それにあわせてエレアーネも腰に差した杖を構える。
「オオカミ、かな?」
「何頭かいますね。」
木々の向こうに、四足獣がウロウロしているのが見える。というか、二人とも三十メートル以上も先の森の中の獣をよく見つけられるな。
二人は森の奥をジッと睨んでいるが、オオカミの方には動きが無い。
「囮……?」
裕は訝しげに左右を見回すが、奇襲をかけてくるような獣の気配はない。まあ、そんな簡単にばれるなら奇襲にならないが。
「少し戻りましょう。ここで待っていても仕方がありません。」
二人は森に背を向けて歩きだす。
と、オオカミが動いた。森の中を疾走し、二人との距離を一気に詰めてくる。
だが、それくらいならエレアーネも一々ビビったりはしない。振り向きざまに水の弾を狂った勢いで撃ち出しまくる。いや、ビビってるのか? これは。
だが効果は覿面だ。エレアーネの水の弾は量が多すぎて避ける場所が無い。痛手を与える威力は無いが、オオカミ相手ならば嫌がらせには十分すぎる。
水の玉をもろに食らい、オオカミは気勢と物理的なスピードを殺がれる。
「げっげっげっげっげ。」
ワケの分からない笑い声を上げて裕が山刀を抜き放ち迫っていくと、オオカミはあっさりと尻尾を巻いて逃げ出していった。