第64話 アンデッドにこそ即死魔法を
裕やエレアーネ、ミキナリーノの魔法を悉く消し去り、骸骨の化物が裕の目の前に迫ってくる。
直接効かないならばと、川面や周囲の崖に向けて撃ってはみるが、ほんのちょっとの時間稼ぎにしかならない。
苦し紛れに石を投げつけてみても、効果などまるでない。
そして、骸骨の化物は、間合いに入った裕に向けて毒の爪を振り下ろした。
裕は化物の攻撃を必死に山刀で受けるものも、それで止められるはずもない。体格とパワーが違いすぎる。少年漫画にありがちな「この細腕のどこにそんな力がッ⁉」なんて感じには全くならない。
あっさりと吹っ飛ばされて、裕は川原を転がる。
そして、その直後、上空から落下してきた大小の石が骸骨に降り注ぐ。
水蒸気爆発を起こしていた際に、裕は重力遮断百パーセントをかけた石を放り投げていたのだ。魔法そのものは通じなくても、既に魔法の効力を失って落ちてきた石は止めることができない。
二百メートル上空からの落石では少しはダメージがあったのか、骸骨は足を止めて上空を睨む。が、そこにはもう何もない。
もはや裕には攻撃手段が残っていない。魔法が通じなければ、できることなんて殆ど無いのだ。だが、十分だ。化物の意識が上に向いているうちに、裕は脱兎のごとく、谷の斜面を駆け上がる。
気付いた化物が追いかけてきたときには、裕は既に森の中に飛び込んでいた。
化物の爪が木々を薙ぎ払うが、裕にまでは届かない。
そして、化物が裕を探している間に、木々の間を縫いながらUターンして谷を飛び越える。
化物は完全に裕の動きに攪乱されている。
だが、裕の方もそれで限界だ。
最初の爪の攻撃で吹き飛ばされたときのダメージが大きすぎるのだ。全身を強く打ち、頭からは流血している。たったの一撃で満身創痍といった様相だ。
よくその傷で動き回れるものだと感心するほどだ。
暫くの間、へし折った枝を投げて木を引きつけておいたあと、裕は森の中をゆっくりと回り込んで、仲間たちの合流を図る。
谷川に沿って移動するわけにもいかず、裕がエレアーネたちを見つけたのは三時間ほど経ってからだった。
「みなさん、ご無事でしたか。」
「それはこっちの台詞だろ!」
裕の出現は唐突だ。みんな前後左右には気を配っているが、上はがら空きだ。
そして、裕は上空から下りてきたのだ。
「って、本当に大丈夫かよおい!」
「エレアーネぇぇ、治してください……」
血まみれの裕を見てカーズトキが心配の声を掛けるが、裕はいつもの台詞を言いながら力なく倒れ込んだ。
慌ててエレアーネが治療魔法の詠唱を開始する。
「それで、どうしたんだ? やったのか?」
「やってませんよ、足止めをしただけです。それだけでこの有様ですよ。」
裕はエレアーネの膝枕で横になって治癒魔法を受けながら説明する。
「あの化物には魔法が効きません。全く効きません。吃驚するくらい効きません。」
「それは分かったから。」
「で、斧とかで何とかなると思いますか?」
「ならねえよ。」
オレオクジオは自信を持って言う。
「やはりそうですか。ならば、倒す方法は、あります。」
「あるのかよ!」
「え? 何故分からないのです? 不死魔導士と同じ方法ですよ。」
つまり、質量攻撃だ。巨大な岩石を高空から落として下敷きにすれば、少々強いくらいならペシャンコになる。巨岩の運搬には魔法を使うが、攻撃その物は純然たる物理攻撃だ。
「まて。あの谷で仕留めるつもりか?」
「何か問題でも?」
「馬車が通れなくならないか……?」
「ほあああああああああああ!」
肝心なところで抜けている。
落とした岩を退かせれば、また復活するかもしれない。それでは全く意味が無い。
裕の作戦はダメ過ぎだった。
「くそう。万策尽きた……」
そう言った裕の表情が突如固まった。
「……万策尽きた? 全然、尽きてないですよ? そうですよ! なんでこんなことを忘れていたのでしょう!」
裕は一人興奮して叫ぶ。
万策尽きた。
以前にも裕は、骸骨を前にそう言ったことがある。その時は、生きることそのものも諦めたのだが、その時唱えた念仏が起死回生の一手となったのだ。
「南無阿弥陀仏ですよ!」
「ナムアミダ……? 何それ?」
何を言ってるんだかサッパリ分からない、とエレアーネが肩を竦める。が、何を言ってるんだか分からないのは全員だ。
「骸骨を葬る術ですよ。あれって魔法なのかなあ? 効かなかったら、いや、やってみる価値はある!」
「どんな術なんだ? 魔法とは違うのか?」
「ええと、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」
「やめろ!」
体を起こし、手を合わせて念仏を軽く唱えただけで、魔導士が慌てて止める。
「一瞬、意識が飛びかけたぞ! 何なんだその術は!」
見ると、他の人たちも同じようで、一様に驚き目を見開いている。
「え? それだけで効くんですか? 済みません、生きている人にも効くとは思いませんでしたよ。」
おかしいなあ、と裕は首をひねる。
南無阿弥陀仏は他力本願の念仏だから、成仏の救けを願う文句のはずだ。少なくとも、裕はそう認識している。
もしかすると、生きてようが何だろうが、強制的に成仏させるのがその効果なのだろうか?
真相は分からないが、仲間内で試してみるわけにもいかない。
「それに、無差別に発動するのは想定外ですよ。私一人で行かなきゃならないじゃないですか。」
仲間がいても支援を受けることができないと知り、裕はがっくりと項垂れる。
軽く食事をとって休憩してから、裕は一人で再び沢を登っていく。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏……」
眼前で合掌し、ずっと念仏を唱えながら進んでいくのだから、とても怖い。いろんな意味で怖い。
置き去りにされた馬車を過ぎ、裕は再び骸骨の化物と退治する。もとい、対峙する。
「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 照見五蘊皆空……」
念仏を繰り返していたのが、般若心経に切り替わる。
骸骨の化物は攻撃しようと裕に近寄ってきたのが、突如、後ずさり動かなくなる。これは効くのか。驚きである。
「……是諸法空相 不生不滅 不垢不浄 不増不減……」
高らかに唱える裕の般若心経が木々にこだまする。
化物は縛めに抗うかのようにもがき始めた。だが、暴れる、というほどの動きにはならないようだ。
「羯諦 羯諦 波羅羯諦 波羅僧羯諦 菩提薩婆訶。般若心経」
般若心経を終えると、周囲は不気味に静まり返る。骸骨はピクリとも動かない。
「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。」
裕は静かに念仏を唱える。
骸骨の化物は音を立てて崩れ落ちる。
そして。
裕もがっくりと膝をついた。