63話 逃げの一手しかない

「来た!」

谷川の先、約四百メートル。大きく左に曲がっている谷の側面は切り立った崖だ。その岩壁の向こうから、巨大な骸骨の化物がゆっくりと姿を現わす。

いや、ゆっくりに見えるだけだ。化物の体高は八メートルほどもあり、全長は二十メートルを軽く超えている。ワケの分からない形に組み上がった胴体から伸びる足は、長短混じって十二もある。それに長い尻尾を持つ気色悪い姿だ。

「なっ! 大きくなってるぅぅ!」

その姿を見て、裕は引き攣った顔で叫ぶ。

以前に見た骸骨の化物は、脚は八本だったし、ここまでの大きさも無かったはずだ。

「なななな何だアレは⁉」

「おそらく研究所の守護者です。あれが、この辺りまで出てくるのは想定外です!」

慌てて百八十度向きを変えた馬車と一緒に、裕たちは川下に向かって走る。馬車が少々痛むのはやむなしだ。

「エレアーネも馬車に入って下さい! ミキナリーノは光の盾を後ろに展開! 春茨シュンシは馬車の護衛!」

裕は走りながら矢継ぎ早に指示を出す。後ろを追いかけてくる骸骨の化物は機敏には見えないが、そのサイズに物を言わせて、かなりの速さで走ってくる。

馬車の重力遮断率は九九・五パーセント。さらに馬にも五パーセントでかけて、形振り構わずに限界まで速度を上げて川辺を駆け下りる。

だが、それでも化物の方が早い。みるみるうちに距離を詰めてられる。最初あった四百メートルの距離は数十秒のうちに百メートルほどにまでなっている。

「とりゃあっ!」

百メートル弱が裕の魔法の射程距離だ。そこまで近づいてきたところで、化物の眼前に陽光召喚を放つ。それで怯んでくれれば良かったのだが、そんなに世の中甘くない。化物は裕の魔法などまるで気にするそぶりも見せずに、変わらぬ速さで追いかけてくる。

化物が距離を詰めてくれば、その全身が重力遮断の射程内に入る。

「遮断率百パーセント! 飛んでけェェ!」

タイミングを見計らって裕は重力遮断を放つ。対処される可能性はあるが、少なくとも一瞬はもたつくはずだ。

だが、そんな裕の期待は、いともあっさりと打ち砕かれた。骸骨の化物は何事もなかったかのように変わらず走ってくる。

「何ッ? 効いていない⁉」

裕はその後も立て続けに光熱召喚を放っていくが、その全てが化物の前に煙のように消えていく。ミキナリーノの放った大量の光の盾も、足止めにもならずに消滅していく。

「マジックキャンセルだと⁉ ふざけんな!」

裕は思わず日本語が出る。

「マジック……? 何だそれは?」

「魔法が掻き消されます! 全く通じません!」

魔法が通じなければ裕はただの子どもだ。だが、この子どもは自分が弱者であるという自覚はない。

山刀を抜くと、立ち止まり、骸骨の化物に向き直る。

「おい! それで戦う気か⁉ 死ぬぞ!」

「このままじゃ全員死にますよ! あなたたちは馬車とミドナリフフさんを!」

迫りくる骸骨の前に、水蒸気爆発が起きる。裕がギガレーザーを川に向けて放ったものだ。

それに驚いたのか、はじめて骸骨のスピードが僅かに緩む。

だが、それだけだ。骸骨が近づくと、裕の魔法は掻き消されてしまう。

もう目前に迫った骸骨に向かって、ひたすら石を投げつけるが、そんなものは効きはしない。

そして、骸骨の爪が裕に振り下ろされた。

「左に曲がるぞ! みんな馬車を押せ!」

川は蛇行しながら山を下っている。川辺を走る馬車も、それに沿っていかなければ、岩壁にぶつかってしまう。

オレオクジオが叫び、何とか進行方向を変えようと五人がかりで馬車を横から押すが、勢いのついた馬車はそう簡単に曲がってくれない。

重力を遮断しても、慣性はそのまま残っている。勢いのついた馬車はそのまま真っ直ぐに進もうとする。

その時、ミキナリーノが馬車から身を乗り出して、右側の車輪の下に重なるように光の盾を並べていく。

第一級の光の盾はその負荷に耐えられずに次々と砕けていくが、それでも方向転換に成功し、馬車は左へと曲がっていく。

「おおおお!」

「嬢ちゃん凄えぞ!」

目の前の難所をなんとか切り抜けて、『春茨』たちは歓声を上げる。だが、まだ危機を脱したわけではない。馬も護衛たちも息を切らせながら走っていく。

だが、なんの前触れもなく、馬車が突如地面に落ちて急停止した。

「どうした⁉」

「魔法が切れた! ヨシノから離れすぎなんだと思う。」

「やられたんじゃないだろうな?」

エレアーネには何が起きたのかすぐに予測がつく。だが、その事態に『春茨』は互いに顔を見合わせる。

「俺が見てくる。こっちは馬車は動きそうにないな。馬を切り離して逃げる用意をしておいてくれ。」

岩壁の陰になって見えないが、今のところ化物が近づいてくるような音は聞こえてこない。弓士カーズトキは慎重に、かつ可能な限り急いで川上へと引き返し、岩壁の向こうを覗き見る。

骸骨の化物がウロウロしているのは見えるが、戦っている様子はない。そして、裕の姿は見当たらない。

大声を出して呼びかけて安否の確認などできない。

そんなことをすれば、化物が馬車の方にやってくるかも知れないし、裕がどこかに隠れているならば、返事をすることはないだろう。

もし、あの化物が裕を仕留めたのだとすれば、馬車の方に向かうか、あるいは守るべき場所へと戻っていくかだろう。

――つまり、ヨシノゥユーは死んではいない。

そう結論づけて、カーズトキは仲間たちのところへ戻っていく。

「化物の足止めには成功したようだ。今のうちにここを離れた方が良い。」

「馬車はどうする?」

「置いていくしか無いだろう。命とどっちが大事かって話だ。」

ハンター達の方針に、ミドナリフフは痛恨の表情を浮かべはしても、異論を挟もうとはしない。

「ヨシノゥユーは? 生きているの?」

「敵の動きからすると、恐らく生きている。どこかに隠れてやり過ごすつもりなんだろう。」

「助けに行けないの……?」

ミキナリーノが非情になり切れないのは仕方が無いだろう。いくら才覚があってもまだ十一歳の子どもだ。経験が足りなさすぎる。

隊商を長くやっていれば、賊や魔物に襲われることはある。その際に、誰かを見捨てるという手段を取らざるを得ないこともある。一人のために、仲間全員を危険に晒すわけにはいかないのだ。

「無理だ。下手に動いて、奴がこちらに来るような事態になったら、ヨシノゥユーの命を懸けた頑張りが水の泡だ。」

「何のために彼があの化物に立ち向かったのかを考えてほしい。それを無駄にしちゃいけない。」

唇を噛んで俯いているミキナリーノをミドナリフフが抱き上げて馬に乗せる。既にハーネスは外し終えたようで、すぐに出発できそうだ。ミドナリフフはカトナリエスを抱えてもう一頭の馬に跨る。

「しかし、アレは一体何なんだ?」

歩きながらオレオクジオは忌々しげな声を上げる。

「多分、研究所を守るために不死魔導士が作ったの門番みたいなものってヨシノは言ってたけど。この前来た時も、同じようなのがいたよ。」

「あんな化物、どうやって倒したんだ?」

「前は、普通に魔法が効いたし、簡単に倒せたよ。あんなに大きくなかったし。」

「魔法が効いたら簡単って、それは……。いや、説明しなくて良い。聞きたくない。」

アミエーニエは話を振っておきながら、返答されることを拒絶する。何とも失礼なことだろう。裕だったら絶対にツッコミを入れているところだ。

とにかく化物から距離を取ろうということで、一行は沈痛な面持ちで来た道を引き返していった。

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