第56話 ミキナリーノとエレアーネ
「それで、ヨシノゥユーはどうしたのです? 何故あなた一人なのですか?」
「ヨシノはこの町に入ったらダメだから、隣の町で待ってるって言ってました。」
「隣の町、ですか。ミディスかしら? それともヨンセルの方ですか?」
「ヨンセルです。」
応接室に入ると一息つく間も無く、サヤモリータはエレアーネに質問を浴びせる。
そして、思い出したように席を勧める。
「えっと、これ、ヨシノが渡しておいてって言ってました。」
エレアーネは荷物から竹製鞄と小さな包みを取り出して、テーブルに置く。
「これは何かしら?」
「こっちは塩で、こっちはお茶です。今年とれたてのです。」
手土産の用意は裕のものだ。塩は元々用意していた大義名分用のものだが、お茶は途中の町で美味しかったから買っておいたのだ。徒歩の旅のためあまり大仰なものは無理だが、手土産の一つもなしに訪ねるのは気がひけるらしい。
「あら、ビエル茶だわ。新茶がもう出てるのね。」
包みを開けるなり、サヤモリータは顔を綻ばせた。すぐに使用人を呼んで茶の用意をさせる。それとともに、ミキナリーノとカトナリエスを呼んでくるように言う。
ポットに沸いたお湯とカップを運んできた使用人が出て行くのと入れ替わりにミキナリーノとカトナリエスが入ってくる。
「お母様、いかがしましたか?」
「お呼びでしょうか?」
「二人とも楽にして良いわ。エレアーネがヨシノゥユーの使いとして来てくださったのです。ミドナリフフが戻るまで、お話し相手をしていてくださいな。」
大人の商人と子ども他国籍ハンターでは、共通の話題が全く思いつかなかったようだ。お茶の話をしたって、エレアーネだと「美味しい」以上の言葉は出てこなさそうだ。ミキナリーノやカトナリエスならば、裕のことや魔法など、共通の話題がある。
二人に席を勧めて、サヤモリータは茶を淹れる。慣れた手つきで茶器を扱い、カップに茶が注がれると、ふわりと新茶の香が鼻孔をくすぐる。
「冷めないうちにどうぞ。」
サヤモリータはそれぞれの前にカップを出し、まず自らが一口つける。続いてミキナリーノとカトナリエスもカップを手にし、エレアーネもそれに倣う。
「ヨシノゥユーはどこにいるの?」
「ヨンセルらしいわ。この町に来るのは避けているのですって。会うとしたら町の外ででしょうね。」
「いつ、どこで待っていれば良いのか聞いてきてといわれてます。」
「そのあたりは夫が戻ってきてからにしましょう。今、ハンターと調査の打ち合わせに出ているのですよ。」
ミドナリフフは午後からハンター組合に向かったらしい。エレアーネとは入れ違いになっていたようだ。
「ここまで来るの大変だったでしょう? 何日くらいかかるのかしら?」
「えーと、今日が七日目。山を越えてからはゆっくりきてるから。」
「七日ですって? それでゆっくり?」
驚いたのはミキナリーノだけではない。サヤモリータも目を見開きエレアーネを見つめる。
「ヨシノの魔法を使って走ったら、すごく早く走れるんだよ。ふわってなって、すごく高く跳べるの。」
エレアーネの説明では伝わるまい。いや、裕が自分で説明しても、伝えることができないだろう。
「そういえば、ヨシノゥユーは馬車も速くしていましたね。あの魔法の使い方は教えられない、と言っていましたけれど……」
サヤモリータは半ば呆れたように首を振る。
「ところで、エレアーネは新しい魔法は覚えたの?」
沈黙が訪れたところで、ミキナリーノが話を振る。
「今はまだ。四級の魔法を覚えたいから、お金貯めてるの。教えて貰うのすっごい高いんだよ! 金貨十四枚だって!」
「金貨十四枚⁉ そんなにするの?」
さすがにミキナリーノもその金額には驚く。母親の顔をちらりと見るが、サヤモリータは無言で首を横に振る。おねだりしてもその金額は出てこないだろう。パンや食品の値段から考えると、日本の貨幣感覚では二百万円前後だろうか。
「まだ五枚も貯まってないから、教えて貰えるのはまだまだ先かな……」
「でも、四級って、エレアーネは三級の魔法は使えるの?」
「ヨシノが三級の魔法は覚えなくて良いって。お金ないし、次は四級にした方が良いって言われたの。」
「一級の次は二級、その次は三級と覚えて行くのではないのですか? 先生は順番にとおっしゃっています。」
エレアーネのというか裕の無茶苦茶な方針に、カトナリエスはかなり混乱している。
「水とか風だと、二級の魔法って面倒なだけで、一級の魔法を使った方が楽だし早いと思う。順番にやった方が良いのは治癒魔法だけじゃないのかな? ヨシノも二級にお金出したのは無駄だったって言ってたよ?」
「私もそんな気がしてたの。魔族の魔法を使ったら、一級の魔法で二級と同じことできるんだよね。」
エレアーネの意見にミキナリーノもうんうんと頷く。基本的に二級は一級の強化版しかないため、魔力の再利用をして一級を連射した方が魔力消費の観点でも、威力の面でも分があるのだ。
だが、治癒魔法だけはその考えが通用しない。一級では何十回連射しようとも、軽傷しか治せないのだ。深い傷に作用させるには、二級、三級とレベルを上げなければならない。
「そのことは先生も含めて、他の人には絶対言ってはならないと、お父様に言われているんです。だから先生は一生懸命に二級の魔法を教えてくださるのですけど……、正直言ってあまりやる気がしないんです。」
エレアーネなら分かってくれるよね、と心情を吐露する娘にサヤモリータは頭を抱える。
「ミキナリーノはどんな魔法が使えるの?」
「私の適性は、風と光なんです。風は、ここでやると叱られちゃうのでお見せできませんが、光の盾なら大丈夫です。」
そう言ってミキナリーノは第一級の光の盾の詠唱をする。第一級は魔法陣も詠唱も簡単なので、サッと描いてサッと詠唱できる。ものの数秒で発動まで完了する。
「これが第一級なんです。」
そして、今度は第二級の光の盾を使う。魔法陣は大きく複雑になり、詠唱も倍ほどの時間が掛かる。そして。
「第二級ってこれなんですよ!」
ぷんぷんと憤慨したように言う。並べて出現した光の盾は、第二級の方が少しだけ大きい。第一級が直径四十センチほどの円盤型、第二級は直径五十センチほどの、やはり円盤型。
確かに、直径で二割ほど大きくなっている。
だが、それを見ただけでエレアーネも落胆する。
「もう一度、一級のやってみて。」
リクエストにミキナリーノが応じると、エレアーネは即座に右手を伸ばして横に振り、光の盾を横にずらっと並べる。さらに一段上に並べれば、もう光の盾というより光の壁だ。
「こういう魔法は、一級とか二級とか関係ないんだよね。他の人が使った魔法でもこうやってできるんだもの。」
エレアーネはあっさりとやって見せるが、ミキナリーノは、いや、サヤモリータもカトナリエスも愕然としている。
まさか、他人の魔法でも『魔族の魔法の使い方』が適用できるとは思っていなかったのだ。
先入観を持たずに何でも試してみる、という精神はやはり裕が抜きんでているようだ。エレアーネだって、裕が最初にやって見せたときには「何それエエエ!」と叫んでいたものだ。
そんな魔法談議をしているうちに、ミドナリフフが帰ってきた。
「来客というのは、どちら様でしたかな?」
ドアを開けて、応接室に顔を出したミドナリフフには、子どもたちが談笑している姿しか見えなかった。
サヤモリータはお茶のお代わりと菓子の用意で席をはずしていたのだ。
「おや、部屋を間違えたかな?」
「お父様、お待ちしてましたよ! エレアーネがいらっしゃったの。ヨシノゥユーに会いに行きましょう!」
突如そんなことを言われても話の流れが全く見えず、ミドナリフフは「は?」と首を傾げるのだった。