第55話 エレアーネのおつかい
西へ、西へと走りファルノイス領へと入ったのは三日目の夜だった。裕たちは道など走っていないため、一路とは言い難いのがなんとも表現に困るところだ。
裕は、いきなり領都には向かわない。しかも、山を越えてからは随分とゆっくりと進んでいる。
追放を受けたところに戻ってきたことがバレたら捕まってしまう。出て行ったときは、何も気にせず、当てもなく東へ向かって爆進していたが、今回はそんなわけにはいかない。旅をしているハンターを装い、情報を得ながら慎重に一つずつ街から街へと進んでいく作戦だ。
そして、最終的に、領都にはエレアーネが一人で向かう。
町の外に広がる畑の端のあたりまでは裕と重力遮断して走っていくが、町が見えてきた時点でそれも終わりだ。
「では、エレアーネ。よろしくお願いします。」
「フェザノス商会のミドナリフフさん、だよね? まず、ハンター組合、そこで場所を聞く。だめだったら商業組合の場所を聞いて、それからフェザノス商会に案内してもらう。」
何度も確認して、エレアーネは町へと歩いていく。
ハンターの一人旅というのは、あり得ないことはないが、かなり珍しい。どこかの美少女天才魔道士のように盗賊を倒しながら旅をしているような輩はない。
年端もいかないエレアーネならば尚更、のように思われるが、実はそうではない。
あてもない旅をするのは、圧倒的に子どもが多いのだ。
そのほとんどが、問題を起こして町にいられなくなったという理由からなのだが、浮浪児一掃ということで纏めて町から追い出されたり、周辺に子どもができる仕事がほとんどなくて別の町へと移る者もいる。
そんなわけで、エレアーネは町に入るときも、入ってからも、かなり奇異の目で見られる。
もっとも、それは裕と一緒にいたときも同じなのだが、やはり一人になるとエレアーネもそれを意識してしまう。
どこの町に行っても、とりあえず最初にハンター組合に行くのは同じだ。この町は防壁に街門があるので、そこで場所を聞けばいい。
「すみません、エウノ王国のハンターのエレアーネです。所用でこの町に来たのですが、魔物など変わったことはありますか?」
このセリフはここに来るまでに何度か繰り返している決まり文句だ。『紅蓮』のアサトクナも同じようにしていたのだからこれで問題ないのだろう。
「エウノ王国から? 随分遠くから来たんですね。魔物は最近はすっかり落ち着いていて、街道に出てくることもないから大丈夫ですよ。」
職員はエレアーネの組合員証を確認し、書類になにやら書き込みながら受け答えをする。
「最近?」
「一年くらい前に魔物が町を攻めてきてね、犠牲者が出たりもしたんだが、それも全部掃討したし今はもう心配いらないよ。」
「ああ、そのこと。大変だったみたいですね。」
その辺りの話は裕からも聞いているので、別に驚きはしない。だが、エレアーネが顔色を変えないことも、職員が訝しがることもない。
一年前の魔物襲撃は近隣の町には既に知れていることだ。この町に来る前に、ある程度の情報を仕入れていて当たり前だろう。その程度のこともできないようではハンターとしては失格だ。
「そうそう、フェザノス商会ってどこにあるか分かりますか? 後で行かなきゃならないんだけど。そこのミドナリフフさんに用があるんだけど。」
「フェザノス商会ですか? ええと、どこだったかな。以前から隊商の護衛で付き合いはあるんだけど、あまり行かないからなあ……。ここ出て右行くと広場があるから、そこで聞いた方が早いと思うよ。」
職員には道の説明は難しいとのことで、エレアーネは礼を言ってハンター組合を出ると、言われた方向、広場へと向かう。
昼過ぎの屋台広場は、多くの人で賑わっている。エレアーネもパンや串焼き肉を買いつつ、フェザノス商会の場所を尋ねてみるが、中々はっきりとした答えが得られない。
仕方が無いと早々に諦め、商業組合の場所を聞くと、それはすぐに答えが返ってきた。
ここまでは裕の想定した範囲内で進んでいる。
織物と装飾品を主に取り扱っているフェザノス商会は、基本的に庶民にはあまり縁が無い。他にも陶器なども扱っているが、その多くは高級品だ。売り先は金持ちか貴族である。
一方、商業組合は、その場所を知らない商人はいない。組合に属さずに勝手に商売をしていれば、領主の兵に捕らえられるのだから当然だろう。そして、商業組合の職員ならば、大店の場所を知らぬはずもないだろうという読みだ。
「あの、フェザノス商会がどこにあるか分かりますか?」
「フェザノス商会に何のご用ですか?」
「届け物と伝言があるの。」
簡単に用件の内容を告げるも、職員は胡乱げな目を向ける。エレアーネはどう見ても商人でも金持ちでもない子どもだ。彼ら商組の職員としても、信用できるとも思えない人物を案内して、面倒ごとになるのはお断りなのは想像に難くない。
「届け物って何? 伝言の内容は?」
「ええと、塩だと言っていました。伝言の内容は絶対に他人に喋っちゃダメなんです。」
エレアーネは背負った荷物を下ろし、その中から竹製の鞄に入った包みを取り出す。
「これです。」
鞄の中に入っているのは、布に包まれた岩塩だ。サイズ以外に何の変哲もないただの塩を見て、職員は首を傾げる。
だが、特に危険そうには見えないし、その岩塩は店で売っている物より遥かに大きな塊だ。適当に理由をでっちあげるために、そこらの店で買った物とも思えない。
本当に何かあるのかも知れないと、窓口の職員は、奥で作業をしている見習いを呼んでフェザノス商会まで案内をさせることにした。
来た道を引き返し、広場で折れて北の方へと向かう。そこから大きく曲がる道なりに西に行き、もう一度北に折れたところにフェザノス商会はあった。
「あの、フェザノス商会で間違いありませんか? ミドナリフフさんはいますか?」
エレアーネ店の扉を開けると、従業員と思しき女性に声を掛ける。
「商会長は所用で外出しております。用件がございましたら、承ります。」
「えっと、じゃあ、ミキナリーノはいる?」
会話の練習のなかに出てこなかったミキナリーノは呼び捨てである。そもそも二人で会話していたときは、普通に互いに呼び捨てだったので、それが出てしまうのは仕方が無いだろう。
だが、女性従業員の方は、かなり気に入らなかったようだ。
「お嬢様に何の御用でございますか!」
「えっと、魔法の話?」
首を傾げながら答えるエレアーネに、女性従業員はワナワナと震えだした。
「お嬢様にはちゃんとした家庭教師が付いています! 貴方なんかと話をすることなどありません!」
「何を騒いでいるのですか。」
従業員の大声に、奥から女性の声が掛かる。
「フェザノス商会の品格が疑われるようなことは慎んでいただけますか?」
「お、奥様、それはこの子が……」
出てきたのはサヤモリータ、ミキナリーノの母親だ。全く触れてもいなかったが、彼女も以前の隊商に参加していた。
つまり、エレアーネはサヤモリータとも面識がある。会話をしたことはないが。
「あら、ええと、何という名でしたっけ……」
「エレアーネ。」
「そうそう、失礼しました、エレアーネ。ところで、今日は一人、なのですか?」
言葉を交わしていないとかいう以前に、ミドナリフフもサヤモリータも裕は特別な存在だが、エレアーネはそのオマケである。紅蓮の方は会っても気づかない可能性の方が高い。
ミキナリーノがライバル認識していなければ、エレアーネのことも全く覚えもしなかっただろう。
だから、裕がいないことは気になる当然だろう。そして、その理由も想像がつくからこそ、言葉を選びながらの質問なのだ。
「今日は、一人、です。ミドナリフフさんに伝言と、お届け物を持ってきました。」
「届け物……? まあ、いいわ。中に入ってくださる? わざわざ遠くからいらしたんですもの、お茶くらいお出ししますわ。」
エレアーネを手招きして、奥へと戻ろうとすると、商業組合の見習い職人が気まずそうに声を出す。
「あ、あの。それじゃあ、私は失礼しますね?」
「あら、あなたは?」
「商業組合のミュデロンです。そちらの方を案内してきたのですが、お客様で間違いないようなので。」
「わざわざ案内してくださったのね。」
サヤモリータは数枚の銅貨を駄賃にと渡すと、ミュデロンはそそくさと帰っていった。