第54話 西への旅路
町の宿に着いた時は、もう日が落ちていた。
「すみません、今からで大丈夫ですか? お部屋空いてますか?」
「あら、ちょっと遅かったね。大部屋はもう空いてないよ。」
「二人部屋は?」
「空いてるけど、お金は大丈夫なのかい? 一泊銀貨四枚だよ。」
裕やエレアーネの年頃を見れば、宿泊費にそんなに出せはしないと思うのは当たり前なのだろう。
だが、裕たちはその程度の支払いなら問題ない。
「お食事は付きますか?」
「ああ、食べるなら早くしておくれ。」
裕が銀貨四枚を財布から出すと、女将と思しき女性は鍵を出しながら答える。
「部屋は三階の左側いちばん手前だよ。」
裕とエレアーネは荷物を置くと、急いで食堂に向かう。
料理はかろうじて残っていたようで、すぐにパンとシチュー、サラダが出てくる。
サラダと言っても生野菜のサラダではない。基本的に、生で食べるのは一部の果物だけで、ほとんどの食材には火を通す。
食事と湯浴みを済ませて部屋に戻ると、早々に眠りに就く。
そう、一々湯を沸かしてもらう必要がなくなったのだ。水魔法で出す水は何故か最初から温かく、魔法でちょっと加熱すれば湯浴みができるほどの温度になる。
翌日は朝食を摂ってから宿を出発する。
空が白みはじめたころに起きだし、朝食を終えるのも日の出前。
裕たちではなくとも旅商人はそんな生活リズムだ。
宿を出るころに朝日が東の空から世界を照らしだす。たなびく雲は赤く染まり、空はまるで血に塗れているようだ。
「うげえ。雨が降りそうですね。急ぎましょう。」
空を見上げる裕にエレアーネも頷く。
とは言っても、走る速さはエレアーネの方が上だ。単純な体力勝負だと裕は何をやってもエレアーネに勝てない。こっそりとエレアーネの重力遮断率を落としてもなお、ついていくのが精一杯だ。
「いっぱい降ってるよ?」
「なんということでしょう!」
森を抜けて畑が見えてくると、その先にくっきりと土砂降りの境界があった。
荷物から外套を出して背負った荷物ごと体を包み、二人は再び走り出す。さすがに雨の中だとスピードは落ちる。
「ゴーグルが欲しい……」
そんなことを言っても、透明なガラス製品もほとんどないこの文化社会では、無理な願いだろう。裕だって、ガラス加工の技術なんて知りもしない。
雨にぬかるむ道をひた走り、町の宿屋に駆け込んだのは昼過ぎのことだった。
「ふっ、ふたっ、二人部屋、をっ! お願いします。」
息を切らしながら、掃除中のオヤジに声を掛ける。
「まだ昼間だぜ? 坊ちゃんよ。」
「だって、この雨じゃ、無理ですよ。」
外は音を立てて雨が激しく降っている。こんな天気では出歩きたくはないだろう。
裕とエレアーネの足元には、外套から滴り落ちた水たまりができあがるほどだ。
「とにかく、休ませてくださいよ。お金なら払いますから。銀貨何枚ですか?」
脱いだ外套をバサバサと払うと、水溜りはさらに大きくなる。
「おいおい、ここでやるな!」
室内を水浸しにされて、オヤジが声を大にする。
「すみません。エレアーネ、この水を外に払えますか? なんか便利な魔法ありましたよね?」
「やってみる。」
言われてエレアーネは魔法陣を描き、詠唱を始める。
「ちょ、ちょっと待て。何をする気だ⁉」
「この水を外に飛ばすだけですよ。」
裕はエレアーネの詠唱が終わるのを待って、入り口のドアを開ける。
「飛んでけ!」
エレアーネのかけ声とともに、水溜りから水滴がドアの外に撃ち出されていった。濡れた床が乾くまでにはならないが、水溜りはすっかりなくなっている。
「俺は魔法には詳しくないんだが、そんな魔法があったのか。」
「本当は水の玉で敵を吹っ飛ばす術なんですけどね、威力を落とせばこういう使い方もできるんですよ。」
ただし、威力を落としたら、水の玉の数も減る。水溜りが無くなるまでには、何発も撃たなければならない。そこで裕の魔力再利用が役に立つのだ。同じ魔法ならば魔力消費なしに延々と連続して使えるというチートじみた技術を、エレアーネは既に身に付けている。
「それで、二人部屋は一泊おいくらでしょうか?」
「二人部屋? 銀貨五枚だよ。」
裕は言われた額を値切りもせずにそのまま出す。何の迷いもなく出されたことに宿のオヤジが逆に驚くくらいだ。
……ボッタクリ金額だったか。
「あの、ところで、お昼ご飯なんてあったりしますか?」
「パンくらいなら無くはないが……、仕方ねえな。ちょっとそこで待ってろ。」
オヤジは食堂を指してそう言うと、奥へと引っ込んでいく。
裕とエレアーネが椅子に座って待っていると、皿に盛ったジャムトーストと部屋の鍵を持ってオヤジがやってきた。
「食べた皿はそこに置いといてくれ。部屋は三階の一番奥、右側だ。」
それだけ言って、オヤジは掃除に戻っていった。彼も宿泊料金を吹っかけてきた直後に、昼食代をさらに取る気にはならなかったらしい。
パンを食べ終わって一息ついたところに、ポットを持ったオバちゃんが現れる。
「済みませんね。あの人もお茶くらい出せば良いのにねえ。」
「ありがとうございます。」
「いただきます。」
オバちゃんが茶を注いだカップに二人は口をつける。
なかなか柔らかな甘みのある香りの良いお茶である。茶器がヘッポコな木製なのが台無しなのだが。
「美味しいお茶ですね。この辺でとれるんですか?」
「ああ、ちょっと南の辺りは良い茶畑があってね。そこのお茶は王様も飲んでるって噂だよ。」
裕もエレアーネも、地理や名産品など詳しくはない。というか、全く知らない。裕たちの住むアライの町というかボッシュハ領は、地理的にはかなりのど田舎、辺境の地なのだ。三方を森と山に囲まれているため、自然の恵みは豊かだが、それゆえに、他の土地との交流はとても少なく、他所の情報は基本的に入って来ない。
自国のことも知らない者が、他国のことなど分かるはずもない。
珍しい話に「ほうほう」とバカみたいに相槌を打つのみだ。