第37話 騒がしい午後
「どうした? 何かあったか?」
「おや、タナササさんではありませんか。お久しぶりです。」
険しい顔で駆け込んできたのは『紅蓮』の弓士だった。見知った顔に裕は笑顔で挨拶する。
だが、周囲の職員もハンターたちも目を押さえて呻き声を上げ続けるだけだ。
「タナササ……? 紅蓮か! 頼む! そのガキをブッ殺してくれ!」
「ヨシノ、お前何やったんだ?」
ハンターは物騒なことを言うが、今現在の状況として物理的な武力衝突は起きていないのだから、タナササとしてもいきなり力づくというわけにもいかない。
「どうにも私のことを莫迦にしてくるから、すこし力をお見せしてあげたのです。」
全く悪びれもせず、胸を張って裕は説明する。
「で、具体的に何をしたんだ?」
「明かりの魔法を使っただけですよ? 攻撃や戦闘用の魔法でもないし、咎めを受ける筋合いはありません。」
裕は自信満々に言うが、普通に閃光は攻撃の一つの手段として使われるし、閃光弾など非殺傷系の武器はちゃんと存在している。光るだけだから武器じゃないなんて、そんなのは子どもの言い訳だ。
タナササは裕の説明と態度、そして周りの人たちの様子から大凡のことは察したようだ。
「あまり力を見せるなと言われてなかったか?」
「うぐっ!」
呆れたように言うタナササに裕は言葉を詰まらせる。目を泳がせながら必死に言い訳を考えるが、何も出てこないようだ。
「まあいい、帰って来てたならちょうど良い。来てくれ、ヨシノ。そっちの、えーと、エレアーネもだ。」
「どうしたんですか?」
「俺がここに来た理由だ。かなり戦況が悪い。怪我人が多くてな。治癒と撤収の手伝いをして欲しい。お前ら二人だけで全然状況が変わる。」
それだけ言うと、タナササは回れ右をして出て行こうとする。
「ちょっと待ってください。もうちょっと詳しい報告をお願いします。」
「西の森でかなり強い魔物が出た。場所は北西の門から真西に行ったあたりだ。なんとか倒せたが、怪我人も多い。おれが出るときには歩くことすらできない奴らも何人かいた。」
タナササの報告に職員もハンターたちも顔色を変える。
「俺たちも……!」
「いや、要らん。五級じゃ足手まといになる可能性の方が高い。今、必要なのは治癒術師だ。」
息をまくハンター達を制し、裕とエレアーネを視線で示す。
「私は森の中ではあまり役に立てないですよ?」
「森まで行くのに役に立つだろう? ヨシノがいるのといないのではスピードが違うからな。」
タナササの説明に裕は「なるほど」と手を打つ。
「分かったら行くぞ。のんびりしている暇はない。」
「仕方が無いですねえ。あとで美味しいモノお願いしますよ。」
タナササについて、裕とエレアーネはハンター組合を出て北西の門へと向かう。その後ろを組合にいたハンターが付いてきているが、裕たちは街中で既に重力遮断走行に入っている。軽いとはいえ鎖帷子を着こみ、鉄製の籠手や胸当て、脛当てを着けて、さらに斧や槍を担いでいれば、その重量は軽く十キロは超える。そんな状態で走るには相当な体力が必要だろう。
尚、裕とエレアーネは皮の服を着ているだけだ。町の外に出る予定が無かったので、裕もエレアーネも荷物なんて何一つ持っていない。せいぜいが首から下げた組合員証や家の鍵くらいだ。
門に着いた時には、後ろに付いてきていたハンターたちは既に息が上がっている。
手ぶらの裕やエレアーネはともかく、やはりそれなりの装備をしているタナササも息を乱すことなく平然としているのを見て、ハンターたちは言葉を失う。
「これが私の、商人の力ですよ。移動や運搬ではハンターに負けるつもりはありません。」
「良いから早く行くぞ。」
門を守る兵に手早く説明して、タナササは森へと向かう。
そして、そこからが裕の本領発揮だ。重力遮断を使っても、街中で全速力で走ることなどできはしないのだ。
エレアーネもこの数日で重力遮断走行には随分慣れている。しかも今日は、いつも背負っている荷物は家に置いたままだ。服もキレイなものに替わり、随分と動きやすくなっているようだ。
そうなると、もともとの肉体能力の差がでてくる。
つまり、三人の中で一番遅いのは裕だ。
「くっそおおお! もうエレアーネにも勝てないのですか!」
いくら悔しがっても、こればかりは仕方が無い。六歳と十歳では、体格の差が歴然としているのだ。
歩いて一時間以上の道も、全速力で走り続ければ二分少々ほどで着く。それを可能にするのが重力遮断だ。ハンターたちが森の入口で簡易的な陣を作っているところに到着するのは、驚くほど速かった。
「状況はどうだ?」
あまりにも早い戻りに怪訝そうに眉間に皺を寄せるハンターに、タナササは先に声を掛ける。
「あまり芳しく、って、その子たちは?」
「一人は治癒術師、もう一人は……、商人だ。」
「は? いやいや、冗談言っている場合じゃないだろ?」
「こっちのエレアーネは間違いなく二級の治癒魔法を使える。それで十分だろ。怪我人はそこのテントか?」
タナササは余計な質問をさせない。エレアーネを連れてテントへと向かう。
テントの中は五人のハンターが怪我で苦しんでいた。
爪で引っかかれたのか、顔から胸にかけてざっくりと肉を抉られている者、手足を骨折し添え木を当てられている者、いずれにしても、衣服は血で濡れている。返り血ではなくて本人の血だろう。
「誰から……?」
「こっちの端からで良い。」
エレアーネは怪我人の脇にしゃがみ込むと、治癒魔法の魔法陣を描き、詠唱を始める。対象者の表情が和らぎ、呼吸が落ち着いていくことで、その効果のほどが分かるというものだ。
「あの子はどの程度使えるんだ?」
警備をしているハンターが不安そうに聞いてくる。
「二級の治癒魔法を連続してだと五、六人が限度ですよ。三、四人で一度休憩を入れさせた方が良いですね。食べ物とかありますか?」
「それじゃ足りねえ。もっと怪我人が増える可能性も」
「だったら、一度撤退すべきです。」
そもそも、エレアーネの使う二級の治癒魔法では、骨折までは治すことができない。怪我をする前提で戦い続ければ、どんどんと戦力は減っていくだろう。
というか、骨折や内臓の損傷の治癒には四級以上が必要とされているのだ。そんなのを使える者は、この町には一人しかいない。そして、その一人は現在、森の奥の最前線を支えている。こんな森の外で、戦列から外れた者の相手をしている場合ではないのだ。
「一度引いて立て直すってのは俺も賛成だな。立って歩ける動けるようになった怪我人は、自力で町に戻しておいてくれ。」
タナササはもうこれ以上森の外でやる事はない、と森の奥へと戻っていく。裕はついて行かない。ついて行っても仕方が無いのだ。