第34話 帰りがけの暇つぶし
「許可証返却でーす。」
昼食後、商業組合に来た裕は元気に声をかける。露天商の許可証を返却し、税金を払えばこの町での仕事は終わりである。
「ところでちょっとお聞きしたいのですが。」
裕は専売と言われた塩の販売について聞いてみる。
「ドドネル商会の専売? うーむ、そんな話は聞いたことがないね。ちょっと待っておくれ。」
受付の職員は腕組みをして頭を捻ってみるが、思い当たることはないようだ。奥の偉い人に聞きに言った。
「塩の専売があったのは、かなり昔の話だ。私が駆け出しの頃に無くなったはずだ。王族が長い間利益を独占していてな、まあ。四十二年以上も前の話だ。前の王様が取り止めにしたんだが、専売が復活したなどと聞いたことがない。」
奥から出てきた白髪をオールバックに固めた男が説明する。やはり、裕の思っていた通り、ドドネル商会はデタラメを言っていたのだろう。
「それともう一つ、塩って普段はどれくらいの値段で売られているのかご存知ですか?」
「自分が買わない物の値段までは把握していないよ。組合としても、そこまでは関知することじゃない。」
裕としては適正価格を知りたいだけなのだが、このあたり、というかこの国では経済は基本的に自由競争のようだし、商業組合としても一々管理などもしていないのだろう。
裕は礼を言って商業組合を出ると、再び屋台広場へと向かう。
「すみません、ちょっとお聞きしたいのですが。」
「なんだい、買わねえのか? 冷やかしならあっち行けって、塩の坊主じゃないか。どうしたんだ?」
裕が向かったのは燻製肉屋だ。ベーコンやハムらしき物がいい匂いを漂わせている。燻製肉には塩を使うので、当然、塩の相場は把握しているだろう。
ということでの情報収集である。
「あの、ドドネル商会が来ているのはご存知ですか?」
「ああ、さっき聞いて行ってきたよ。ようやく来てくれたが、まったく、遅いんだよ。しかもあの値段じゃあなあ……。いやあ、坊主が塩を売ってくれて助かったよ。」
景気良く声を張り上げていたおっちゃんの声が途端に小さくなる。
「ドドネル商会って、いつもあの値段なのですか?」
「いいや、今回はいつもよりも高い。まあ、もともと、坊主よりも高かったんだがな。」
なんと、裕は随分と安売りをしていたようである。
「もうちょっと吹っかけても良かったんですね……」
「お前さんなぁ、思っててもそういうこと言うんじゃねえよ。」
痛恨の表情で落ち込む裕に、おっちゃんも大きな溜息がでる。
少々の雑談を交わし、また近いうちに来ると言い残して裕は町を去る。
売る物も無くなってしまったので、領都アライに帰るしかない。この町で仕入れるようなものも何も無いのだ。この町で手に入って、アライで手に入らない物は無い。
とは言っても、もう既に昼を過ぎている。重力遮断しての移動がいくら早いとは言っても、今からでは、閉門までに間に合わないだろう。どこかで一泊する必要がある。
裕は基本的に野宿は選ばない。根が日本人の裕は、寝るのは温かいベッドが基本なのだ。アウトドア好きのキャンパーでも、夜営道具も無しに秋の野宿はキツイだろう。寝ている間に雨でも降って来たら最悪だ。
となれば、来た道を戻り、ドセイの町へと向かう。行ったことのない町を探すなら、もっと早い時間に出発した方がいいという判断だ。
この町で一泊して翌朝早くからアライを目指しても良いのだが、それで万一間に合わなかったら痛い。要らない危険を冒す必要は無いのだ。
森の上を駆け抜けて、ドセイに着いたのは意外と早かった。
一日掛かるというのは、森の中を縫うように曲がりくねっている街道を歩けばの話だ。直線的に森の上を走っていく裕は、狂った速さで進んでいくのだ。
「ビールじゃ、ビール!」
「お客さん、夜の営業はまだなんですが……」
宿を取り、食堂へ行ってみるも、営業時間外だという。日本で言えば午後四時前くらい、考えてみなくても、夕食にはちょっと早い時間だ。
「じゃあ、湯浴みを……」
「申し訳ございませんが、今の時間は厨房は立て込んでいますのでお湯はお出しできません。」
何をするにも時間帯が悪いのだ。特に買うものも無いし、屋台広場に行ってもすることが無い。
「いや、買うものはあるじゃないですか!」
突然、ぱん、と手を叩き何か閃いた。
「エレアーネの服を買いましょう。中古服のお店なんかはありますか?」
「私の服……?」
「そうです! いつまでもそんなボロを着ているのではありません! さあ行きますよ!」
道行く人に聞いてみれば、服屋はすぐに見つかった。
ガラン、ゴロン、と派手な音を立ててドアを開けると、中は暗い。
電気の照明も無く、窓にはガラスも無い石造りの建物なのだから、どうしても部屋の中はくらくなりがちだ。
だからと言ってランプを灯している余裕も無いのだろう。
「お客さんですかいな。」
店の中できょろきょろしていると、奥からのんびりとした女性の声が聞こえてくる。
「女の子の服が欲しいんですけど、ありますか?」
「はいはい、ちょっと待ってくださいな。」
言いながら出てきたのは皺くちゃの老婆だった。
「あの、明かりの魔法を使って良いですか?」
「おやおや、魔法を使えるんかの、羨ましいのう。」
ダメと言われなかったので、天井に向けて照明魔法を放つ。陽光召喚魔法ではない。室内を適度に照らす、100W程度の白熱電球のような明かりである。
「この子の服が欲しいのです。ちょうど良さそうなのはありますか?」
「その子ならこの辺かね。」
老婆が棚から一着の服を広げてみせる。いかにも「町娘」といった感じの麻っぽい生地の質素なワンピースだ。
「ズボンのは無いですか? できれば革製の温かいのが良いですね。これから寒くなりますし。」
「ああ、冬用かい? じゃあこれはどうだい? ちょっと嬢ちゃん後ろ向いておくれ。」
次に老婆が出してきたのは暗い緑のパンツに、赤っぽいチュニックだ。エレアーネの背中に合わせてサイズの確認をしてみると、少々大きい感じである。
数着出してサイズを合わせてみて、結局最初の服を買うことにした。
あっさりと銀貨十八枚を支払い、「良い買い物をした」と言わんばかりの裕だが、エレアーネの方はオロオロと戸惑いまくっている。
くどいようだが、エレアーネは服を買ったことが無い。今着ている服は死んだ人から剥ぎ取った物だ。罰当たりと言われようが何と言われようが、孤児上がりの浮浪児には、まともに稼ぐ手段が無いのだから仕方が無い。
強盗して奪っていないだけマシと言えるものだろう。
裕は当たり前のように食事も寝床も服も与えているが、エレアーネはそんなものを与えられた経験が無いのだ。戸惑いもするだろう。