第26話 ナイスタイミング
ドセイの町についたのは、日暮れ、太陽が山際に沈みゆく頃だった。
「ふう。やっと着きましたね。」
「何で、アンタは、そんな、元気なのよ!」
エレアーネは息を切らせながら文句を言う。
だが、裕はそれには取り合わず、宿を探し進んでいく。
「ああ、これですね。」
宿。とだけ書かれた看板を見つけて裕は扉を開ける。ファンタジーによく出てくる『竜の尻尾亭』のような名前は無い。本当にただの『宿』だ。まるでどこかのRPGのようだが、分かりやすさ優先なのだろう。
「すみません、二人泊まりたいのですが。」
「二人部屋なら夕食と朝食がついて銀貨三枚です。大部屋なら食事は別。二人で銀貨一枚です。」
受付に立っているのは若い男性だ。看板娘的なものではない。裕たちを客と認め、サービスと料金の説明を始める。
「二人部屋でお願いします。」
裕は当たり前のように二人部屋を選んだ。支払いは前払いということなので、財布から銀貨を取り出して受付に渡す。
「ちょ、ちょっと待ってよ。私、そんなお金無いよ?」
「宿代くらい出しますよ。私は大部屋は嫌です。そもそも一人部屋ってあるんですか?」
「一人用ですか? そんなのありませんよ。」
「だそうです。」
エレアーネは慌てて拒否しようとするが、一人部屋が無い以上、結局は裕は二人部屋に泊まることになるので値段は変わらない。裕は一方的に決定事項を伝えるだけだ。
受付の男は銀貨を金庫へとしまうと、棚から鍵を取り出して裕に渡す。
「部屋はそこの階段登って三階の、右側二番目だよ。食事はこの奥、夕食はもう始まっています。すぐに召し上がりますか? 朝食は日の出の一時間前後でやっていますので、ご利用の場合は寝坊なさらないようお願いします。」
簡単な説明を聞き、裕は「荷物を置いたらすぐ食べます」と返事をして階段に向かう。が、二歩で回れ右をする。
「湯浴みをしたいのですが、できますか?」
「水浴所はありますが、通常、お湯は用意していません。」
「竃と鍋を貸してもらうことはできますか?」
「今日は他にいないから大丈夫だと思いますが、時間は少々遅くなります。食事の用意の方が優先になりますので。。食事の後にでもまた来てください。」
水浴みをする場所はあるらしいが、お湯を希望する人は珍しいらしい。お湯を沸かすことはできるが、薪代は別に掛かるということだ。
湯浴みに関してはまた後ほど、ということで、裕たちは部屋に荷物を置いて井戸で手と顔を洗ってから、食堂に向かう。
「飲み物はどうしましょう?」
空いている席に着くと、給仕さんが速やかにやってくる。結構いい宿なのだろうか、割と身ぎれいな初老の男性だ。
「ビールとか別料金でしょうか?」
「飲み物は一杯までは宿泊料に含まれております。」
「じゃあ、私はビールで。」
裕は当然のような顔をしてビールを注文する。この男は、どうにも、自分が子どもであるという意識が希薄なようだ。
明らかに裕より年上のエレアーネの注文はミルクだ。
料理はすぐに出てきた。
パンと温野菜のサラダ、そしてやたらと具沢山なシチューがテーブルに並べられるとともに、ビールとミルクのジョッキが運ばれてくる。もちろん、ガラスじゃない。木製のジョッキだ。
「それじゃ、お疲れ様ということで。」
裕がジョッキを持つが、エレアーネはパンに齧り付く。
「ちょっとちょっとお嬢さん。最初はジョッキを合わせるのですよ。」
食事の最初にジョッキを合わせての挨拶は紅蓮もしていたので、裕独自のものではない。食事処に出入りしたことのないエレアーネは、そんな文化を知っているはずもないのだが。
「改めて、お疲れ様ということで。」
「お、お疲れ様。」
ジョッキを合わせ、裕は喉を鳴らしてビールを飲む。落ち着かなさそうにきょろきょろしながらも、エレアーネも裕に倣ってミルクを一口飲み、食事に手を付ける。
「美味しい。」
「不味い……」
エレアーネが笑顔で食べているのとは対照的に、裕は非常に不快そうに表情を歪める。
「何かございましたか?」
裕の唸り声が聞こえたのか、給仕の男が裕のテーブルにやってくる。
「何かというほどではないのですが、これはこういう料理なのですか? 味が薄すぎやしませんか?」
「申し訳ありません、料理人に確認してきます。」
裕は強く苦情を言ったわけではないのだが、給仕は畏まって厨房へと入っていった。
すぐに料理人を連れて戻って来て、給仕は頭を下げる。
「料理人の方から説明させていただきます。」
「申し訳ない、御客人。実のところ、ウチでは、というよりこの町全体的に塩が不足しておりまして、何とか代用できる物でと工夫しているのですが」
「塩がないんですか?」
料理人の話に、裕は呆れたような、泣きそうな顔をする。
「この辺りでは塩は採れませんで、たまにくる隊商から仕入れるのですが……」
「言ってくれれば、塩ならありましたのに……」
「ええええ?」
大きくため息を吐いて言う裕に、給仕と料理人は大袈裟に驚く。
「ちょっと、取ってきますね。エレアーネは食べてて良いですよ。」
エレアーネにとっては、火を通しただけの肉や葉っぱ、木の芽がいつもの食事なのだ。味の付けてある料理の方が珍しく特別なものなので、少々薄味なのは何とも思わないようだ。。
大急ぎで岩塩を一掴み持ってきた裕は、ナイフで削って自分のシチューに入れていく。
「うん、これくらいで良いですね。」
軽く味見をして、エレアーネのシチューにも軽く入れてやると、給仕と料理人に向き直る。いや、もう一人増えている。話を聞いて、宿のエライ人がやってきたのだ。
「さて、お幾らでお買い上げ頂けるのでしょう?」
裕の両こぶしを合わせたくらいのサイズの岩塩を差し出し、裕は笑みを浮かべる。
その一かたまりで、重量にすると約一キログラム。普段の卸価格だと銅貨百十二枚ほどになる。
「味見して良いですか?」
「味見程度なら構いませんよ。」
恐る恐ると言った様子で料理人が発言するが、裕の方はにこやかに対応する。
手のひらに塩を軽く削り取り、舐めてみる。
「悪くないな。いつもの塩とはクセが違うが……」
「そんなことを言っている場合なのか? 数日内には完全に尽きると言っていたではないか。」
エライ人とは料理人はごにょごにょと話を始めた。
長くなるのかなと、裕が食事に手を伸ばすが、意外と話が早くまとまったようで、二人がガバッと振り向く。
「銅貨百六十八枚でいかがかな?」
「はい、どうぞ。」
通常の卸価格より高額になっているのだから、裕が断るはずもない。
「ただ……」
「ただ?」
「ちょっと高くないですか?」
裕の言葉に、エライ人と料理人は揃って目を剥く。