第21話 祭りの後の憂鬱
「うう、早く帰って体を洗いたいです。」
「自分で持って帰るって言ったんだろ!」
大量の桶を抱えて裕は帰り道を急ぐ。
イノシシ解体のため、遅くまで作業をしてくれた人に洗濯魔法を教えて解散となったのだが、借り物の桶を放置していくことに気が引けた裕は、とりあえず家に持って帰ることにしたのだ。
水は入っていないので、一つ一つの重さは大したことが無いのだが、十もあればそれなりに重いし、なにより持ちづらい。
ようやく家に着いた裕は、玄関に桶を並べると、自分の桶を持って井戸へと向かう。
水を汲んだ桶に洗濯魔法を使い、思い切って頭からかぶる。
「ふう、さっぱりじゃあああ!」
洗濯魔法の強力汚れ落とし能力で、全身血塗れだったのが綺麗に落ちている。
「何それ! 何したの!」
「だから、洗濯魔法ですよ。さっき教えたじゃないですか。やってみると良いです。気持ちいいですよ。」
「いや、私はそこまで汚れてないし。」
「いや、でも、何か臭いですよ?」
「臭くない!」
ぷんすかと怒りながらも、エレアーネも井戸から水を汲み、洗濯魔法を使ってみる。
「まあ、少なくとも手や顔くらい洗った方が良いです。気持ちいいですよ。」
言われてエレアーネは、桶から手で水を掬い、顔に掛ける。
「……何これ。」
「洗濯魔法ですってば。」
「何これ!」
「しつこいですね!」
「何なのこれ!」
エレアーネは語彙が貧困なのだ。下手したら裕よりも語彙力が無いかもしれない。
「満足したのなら帰りますよ。」
軽く喉を潤し、裕は踵を返すと、エレアーネも慌ててそれに付いていく。
色々あって、エレアーネは裕の家に泊まることになったのだ。
『紅蓮』にはこの町に拠点として一軒家を持っているし、裕も自宅兼作業場兼店舗を借りている。だが、エレアーネはもともと浮浪児だということで、帰る家も泊まる宿も最初から無いのだという。
「紅蓮のホームには客間がありましたよね?」
「ヨシノの家だって空き部屋くらいあるだろう? 男ばかりのところに女の子が泊まるものじゃない。子どもは趣味じゃないしな。」
「そんなこと言ったら、二人きりになっちゃうじゃないですか! 私だって幼女趣味はありませんからね!」
「アンタにだけは幼女とか言われたくないわ!」
自分より年下にしか見えない裕に子ども扱いされて、エレアーネは大変に憤慨するが、アサトクナはそんなことは気にしない。
「ヨシノなら一緒に水浴みしても問題にならんだろ。」
「大問題よ!」
大人たちと子どもたちの間には認識に大きな齟齬があるようだが、結局は裕とエレアーネは押し切られてしまったのだ。
「そう言えば、エレアーネの仲間はどうしたんです?」
「貧民街のどこかで野宿をしていると思うけど……」
既に深夜と言われる時間帯である。今から探す気にもならないということらしい。
「もう寝ますよ。明日も朝から仕事ですから。」
裕は家に戻ると、さっさとベッドに潜り込む。
エレアーネも背負った荷物から毛布を取り出して、部屋の隅で丸くなる。
「ベッドの隅くらい使って良いですよ。余ってますから……」
石の床の上で寝ようとするエレアーネに、さすがに気が引けたのか、裕は珍しいことを言う。
エレアーネは恐る恐るといった表情で、裕の足の方の空いているスペースで丸くなる。
「ベッドで寝るなんて初めて……」
エレアーネの呟きに返事もせず、明かりを消すと裕はすぐに寝息をたて始めた。
翌朝は日の出前からイノシシの残骸の処理だ。
その前に、桶を返すのも忘れてはいけない。
「牙を買い取ってくれる人はいないんでしょうかねえ……」
「幾らだ?」
裕の呟きに背後から返事があった。振り向くと、がっしりとした体格の中年の男がイノシシを見上げている。
筋骨隆々というわけではないが、実用的な筋肉の盛り上がりが、服の上からでも分かる。
「牙一本銀貨六十二枚でいかがですか?」
「よし、二本とも買った。」
男はそう言ってニカッと笑うと、牙の根元にバールのようなものを押し込んで抉り取ろうとし始める。
「結構硬いな。」
「貧弱だったらそんな立派な大きさにならないですよ。」
「そりゃそうだ。」
下らないことを言いながらも、ぐりぐりとバールのようなものをねじ込んでいく。と、そこに、裕が飛び蹴りを食らわせる。
「よっしゃ!」
一気にバールのようなものが食い込み、筋肉男が力を込めると、メキメキと音を立てて牙が抜けてくる。
同じ要領でもう一本も引っこ抜き、筋肉男は満足そうに牙を眺める。
「二本で金貨二枚です。」
「値上がりしただと⁉」
「チッ。気付かれたか。」
「気付くだろう、普通。」
「仕方がないですね、金貨一枚と、銀貨二十六枚です。」
「おう、ちょっと待ってくれよ。」
ワケのわからないやり取りをしつつ男は腰から下げた皮袋を開けて、中を確認する。
「これでちょうどのはずだ。確認してくれ。」
金貨一枚と銀貨の束二つを渡す。
「ひい、ふう、みい、……」
裕は数を数える時は日本語になる。別に、他人に伝えるわけでもないので、それで良いと思っているのだが、目の前にいる者としては、謎の呪文を唱えられるのは気持ちがいいものではなかったりする。
「銀貨二枚多いですよ?」
「それくらいはくれてやる。それでも十分安いからな。」
鷹揚な態度でひらひらと手を振り、満足そうに二本の牙を担ぐと、足取り軽く帰っていった。
「さて、残りは全部燃やしてしまいましょうかね。」
「結構いっぱいあるよ?」
まあ、残骸はトン単位である。裕には知る術がないが、骨と内臓と頭で約五トンほどら。内臓が入れられた壺なんて、二十以上も並んでいる。
「何度かに分けて運ばないとならないでしょうね……」
うんざりとしながら内臓が入った壺を浮かべていく。
少しずつ押して、普通に歩く速さで運べるのは五個が限度のようだ。中身をぶちまけたり、壺をぶつけて割ってしまっては大変である。
南の門を出たところは、畑の手前に少しばかり開けた場所がある。
その一角に壺を並べて、屋台広場へと戻ると人だかりができていた。
「おう、遅いぞ。」
裕を見つけたアサトクナが声を掛けてくる。
「いや、ゴミを町の外に運んでるんですけど……」
「もう運んでるのか? いっぱい残ってるぞ?」
「多すぎるんですよ! 壺とかは乱暴に扱えないですし、そんなに一気に運べませんよ。正直、片付けのことは考えてなかったです……」
「まあ良い、全部浮かせろ。手伝ってやる。おい、そこらの野次馬も手伝え!」
アサトクナが人だかりに向かって叫ぶが、なかなかに反応が悪い。
「レビテーション!」
もう、呪文の名前はそっちで行くつもりらしい。骨を浮かせて「さらにレビテーション!」と壺も浮かせる
「おい、なんだそりゃあ……」
紅蓮が巨大な骨をひょいひょいと集めていくのはまだ分かるとして、裕やエレアーネまでもが壺を軽々と運ぶのを見て、野次馬から驚愕の声が上がる。
「ちょっと押すだけの簡単な作業ですよ。」
「本当に簡単だからビックリだよね……」
どう見たって裕やエレアーネはパワフル系には見えないし、エレアーネが孤児上がりの駆け出しのハンターだと知っている者もいるようで、「そんなバカな」と愕然として見ている。
「うおっ? 何だこれ?」
胡散臭い物を見るような目で近づいてきた男が壺を押してみて、驚きの声を上げる。
「私の魔法は運搬に便利なのです。あまり勢いを付けると飛んでいってしまいますので注意してください。」
数人が興味を持ったのか手伝いをしてくれて、ゴミ運びは一度で終わった。
「助かりましたよ。御駄賃は一人銀貨一枚で良いですか?」
「随分気前がいいな。」
「私一人でやってたら何往復しなきゃならないと思ってるんですか? それを考えたらそんなものです。」
裕を含めて十人で運んでるのだ。裕一人だったら十往復することになっただろう。一往復で一時間弱はかかるので、十往復していれば昼過ぎになる。
それを考えれば、銀貨九枚を支払うというのは、裕としては納得できる金額なのだ。
「ほい、ほい、ほい……」
財布から銀貨を一枚ずつとりだして、一人ずつ手渡していく。
「私も……、良いの?」
遠慮がちにエレアーネがぽそぽそと聞く。
「運んでくれた人には払いますよ?」
「で、俺たちの分は?」
ホリタカサが言っているのはイノシシ狩りのお金の話だ。
「ちょっと待ってくださいよ。まだ昨日の売上の合計確認してないんです。」
「まだしてないのかよ。早くしろよ。」
「昨日はもう疲れて寝てしまったので……、こっち先に燃やしちゃうので少々お待ちを。」
裕は積み上げられた骨に、壺に入った内臓をいくつかぶちまける。
「最大火力顕現! 来たれイフリート! 灰塵と帰するまで焼き尽くせ!」
御託を並べているが、まあ、ただの炎熱召喚魔法だ。最大火力とか言っているだけあって、普段、鍋の湯を沸かすのに使っているのとは出力が違う。
ぶしゅううおおおお! と物凄い勢いで蒸気と煙が巻き上がっていく。
「な、なんだ?」
「近寄ってはいけません! 死にますよ!」
興味津々と言った表情で近づこうとした男に裕が怒鳴りつける。
「え? 何が?」
「私の炎は、人の目に見えないのです!」
「そういう危ねえのを人前でホイホイと使うんじゃねえよ、バカ!」
ハラバラスが物凄い剣幕で叫び、空中に魔法陣を描いたかと思ったら火焔魔法をゴミの山に放つ。
「ちゃんと火は見えるようにしておけ!」
「はあい。」
ハラバラスの説教に、裕はやる気の無い返事を返すのだった。