第18話 巨大な森の巨大な獣
翌日は日の出とともに開く門から、裕と紅蓮は連れ立って出て行く。そして、今回はエレアーネも同行する。
裕は嫌な顔をするが、獣を狩りにいくとなると、判断の主体は『紅蓮』側になる。裕がどうしても嫌だと言えば『紅蓮』も受け入れるだろうが、そこまで反対はしなかった。
一行は門番の兵士たちに軽く挨拶をして東の森へと向かう。
「一区画は普通に歩いて行きますよ。」
「了解。」
今日は裕の背中には籠は無い。ロープを何本かと山刀だけという簡素な装備だ。
紅蓮の方はフル武装している。鎖帷子や鎧を着こんで、剣を差し、斧や槍あるいは弓を背負っている。
武器らしい武器を所持していないのはエレアーネだけだ。刃渡り二十センチもない小さなナイフを腰に差しているが、武器というより道具という扱いだろう。
一行は畦道をてくてくと進む。正面方向に登ってきた太陽がまぶしい。
畑の一区画は、普通に歩けば一分くらいだ。距離にすれば約二百メートル。そこからは重力遮断を使って走っていく。
「さて、そろそろ全開で行きますよ。」
「おう!」
「重力遮断、四十パーセント!」
「なにこれえええええ!」
突然の浮遊感にエレアーネは悲鳴を上げる。感覚としては地面が突如支えを失って落下しているような気分なのだ。恐怖を感じないはずが無い。
「心配いりません。私の魔法です。昨日も使ったでしょう?」
裕は笑顔で言うが、昨日は不意に大イタチに襲われて大パニックとなり、何が何だか分からないままで終わってしまっている。
「さあ、行きますよ。」
足下覚束ないながらも何とか立ち上がり、裕たちについていく。
「思い切って跳ぶのがコツだ。」
慣れない重力遮断走行にもたつくエレアーネにヨヒロがアドバイスをする。重装備で身を固めた彼が軽快に走っていくのはなかなかに不気味だ。
通常では考えられないスピードで走っていく。
「そんなんで大丈夫かよ?」
「最悪、紐で引っ張っていけば良いです。あれ、結構楽しいんですよ。」
アサトクナは心配そうに言うが、意外と裕は楽観的だ。
徒歩では早くても二時間はかかる東の森に、一行は一時間も掛からずに到達し、裕は重力遮断率を上げる。
「重力遮断、九十八パーセント! 森の上を行きます!」
裕は叫んで木の上へと跳び上がる。
「何それ! ちょっと待って!」
『紅蓮』の五人も次々と跳び上がっていく中、目の前で起きていることが信じられず、エレアーネは慌てた声を上げる。
「ちょっと跳べばここまで上がれます。さあ、早く。」
エレアーネは意を決して跳び上がってみるが、力の大きさと方向の調整が甘い。遥か上空へ向かうコースだ。
だが、裕は慌てず紐を投げつける。
「掴まってください。」
必死で紐にしがみつき、手繰り寄せられていく。
エレアーネがもうちょっとで枝の上に着く、というところで、裕は振り返り、前へと跳んでいく。
「あきゃああああ!」
「森の浅いところではそうしていてください。深い方が走りやすいです。」
紐で引っ張られてエレアーネは悲鳴を上げるが、裕はあまり気にしない。
呆れ顔で紅蓮もその後をついていく。
裕は毎日のように重力遮断走行を繰り返しているし、森の上も何度も走っている。
さすがに一日の長ということで、最速で走れる。重力遮断の経験があるとはいえ、それに付いていける『紅蓮』の対応力は高いと言えるだろう。
だが、エレアーネはなかなかそうはいかない。
半泣きになりながら引っ張られていく。
「下が完全に見えなくなりましたね。」
「ここがあの森の上か……」
「一旦、小休憩にしますか。この辺の枝なら、魔法を切っても大丈夫でしょう。」
裕の差す下は、太い枝が無数に伸び、葉が密度高く生い茂り、地面の様子は全く窺い知ることができない。
「ここからは自分の足で走ってもらいます。」
恐る恐る枝の上に立つエレアーネに声を掛けるが、返事が無い。
「もしかして、高いところが苦手なのですか?」
「こんなところに来たことがないから戸惑っただけよ!」
エレアーネは顔を赤らめながらも悪態をつく。まあ、言っていることはおかしくはない。普通は戸惑う。
「それだけ元気があるなら大丈夫ですね。ちょっと休憩したら行きますよ。」
裕は枝に腰かけて、腰の鞄から出した水筒から水を一口飲む。
他の者もそれに倣い、軽く休憩をとる。
「なあ、この下ってどうなってるんだ?」
「真っ暗なことだけは確かです。下りてみようとか思っても無駄ですよ。周囲が全く見えない枝の中は危険すぎます。」
裕は一度下りてみようとしたことを話す。
全く視界が利かないし、少しでも動けば枝を揺らし、ガサゴソと音を立てることになる。
樹上で獲物を探すようなものがあれば、格好の的になるだろう。
「でも、あの魔法があれば、すぐに逃げられるんじゃないか?」
「無理です。あの中では、この魔法の恩恵は効果がないばかりか、弱点だけが出ることになります。」
紅蓮の五人は弱点と言われてもすぐに思いつかないようだが、裕は重力遮断のリスクに関しては、正しく把握している。
「この魔法の最大の弱点は、上下感覚が完全に無くなることです。上下は目で見て確認するしかないのですが、あの中ではそれができなくなります。」
裕たちは現在、九十八パーセントの遮断率で進んでいるが、目を開けているから頭を天に、足を地に向けていられるのだ。目を閉じていれば、上下逆さまになっても気づきもしないだろう。
「矢や石など、飛び道具には対処できないですし、弱点はあります。」
裕はあっさりと自分の弱点を曝け出す。
「随分と余裕だな。まだ何か隠してるのか?」
「別に隠してはいませんよ。私が使える魔法は全部お見せしましたし。魔法も道具も使い方次第で強力にも貧弱にもなる、ということです。」
休憩を終えると再び森の上を走りだし、七人は東の崖を目指す。
二時間半ほど走っていると、目的地が見えてくる。
「なあ、あれ、どれくらいの距離あるんだ?」
崖の上の木を一本一本を見分けられるほどに近づき、弓士が疑問の声を上げる。
「まだ、結構あります。あそこに見える木は、森の浅いところの数倍の大きさですよ。」
「数倍ってお前……」
顔を引き攣らせながらも六人は走っていく。
「やっと着いたか。確かに、こんな所まで来れるやつはいないよな……」
崖の手前で森が切れるギリギリのところで止まり、アサトクナが呟く。
眼下には、裕の言っていた通り、崖まで数十メートルの広場がある。塩の影響だろうか、ここには草木が生えていないのだ。
「さて、これからどうする?」
広場には獣は見えない。だが、近くにいないと言うことではない。
「崖のあの穴に行きましょう。少し上を狙って跳んでください。私は下方向には調整できますが、上にはできません。」
「分かった。」
裕の合図で全員が跳び、崖に開いた横穴を目指す。エレアーネも慣れたのか、狙い通りに跳ぶことができるようになっている。
「おいおいおいおい、どうなってるんだよ、ここは。」
崖側から今まできた森を見てアサトクナは驚愕に目を見開く。いや、アサトクナだけではない。裕を除く全員が目を剥くほど驚いている。
森に生えている木の樹高は平均して六十メートルほど、幹の太さは直径が五メートルを超えていよう。
森までどう見ても五十メートルはあるというのに、目の前に生えているような圧迫感がある。何しろ、いきなり森の最深部なのだ。奥が全く見通せない暗闇の森が目の前に広がっているのである。
「降りてみましょうか。」
裕の言葉に頷き、緊張した面持ちで穴から出て、下りていく。
「行って……、みる?」
エレアーネは顔を引き攣らせながらも、森を指差して足を踏み出す。
「ダメだ。」
「ああ、何かいる。こっちを見ているぞ。」
「見つかったな。一度撤退するか?」
紅蓮を弱気と言ってはいけない。危険を危険だと判断できないようでは生き残れない。
裕も、彼らの意見に従い、重力遮断を発動する。
基本的に、空中のど真ん中では自由が効かない。ハラバラスは風の魔法を使えるので、全く動けなくなるわけではないが、行動の自由度はとても低いのだ。
裕の魔法発動と同時に地面を蹴って崖に向かって跳び上がると、森の中から一匹の巨獣が飛び出してきた。
サイズを気にしなければ、どう見てもイノシシだ。鼻息荒く、七人に向かって突進してくる。
「ヤバイ! 追いつかれる!」
エレアーネが泣きそうな声で叫ぶ。