第10話 旅立ちの季節
夏の暑さもピークが過ぎ、秋風が吹きはじめる頃に、ミキナリーノの両親が長い出張から帰ってきた。
ミキナリーノからしてみれば十分に長いのだが、本当に長ければ一年近くも家を空けることがある彼らにとっては短めである。
ヨシノゥユー、もとい、裕がこの町に来た日、つまり、襲撃のあった日には両親は既に長旅に出ており、使用人を失ったミキナリーノは弟のカトナリエスとともに神殿に一時的に世話になることにしたのだ。
「ミキナリーノ! カトナリエス! どこだ!」
荒れ果てた邸内を見て、ミキナリーノの父ミドナリフフは顔面を蒼白にして叫ぶ。
「カヤロマ! トルグーヨ! 返事をしなさい!」
叫んだところで返事が帰ってくるはずもないことは、邸内の様子を見れば分かるだろう。それでも人の親としては、叫ばずにはいられないのだろう。
あちこち血に汚れ、床には埃が積もっているのだ。しばらく人が出入りしていないことは一目瞭然だ。
「旦那様、奥様、これを!」
従者が見つけてきた木片には、ミキナリーノが書いたと思われる文字があった。
『神殿にいます』
「神殿に? 何があったの? あの子は無事なの! ?」
ミキナリーノの母サヤモリータは従者に詰問するが、この従者とて町にやっと帰ってきたばかり、状況など分かるはずもない。
「とにかく、神殿に行ってみましょう。ただならぬ様子ではありますが、書置きを残すことはできているのですから、おそらく無事なのでしょう。」
ミドナリフフとサヤモリータは頷き、外へと向かう。
「お前たちは済まないが、家の中の掃除をしておいてくれ。場合によっては宿の手配も必要だ。手早く頼む。」
ミドナリフフは従者たちに言い残して、サヤモリータとともに神殿へと向かった。
実の親が無事に帰ってきた以上、神殿から出て行くのは当然のことだった。
ミキナリーノはミドナリフフと共に神官達に深々と頭を下げると、弟のカトナリエスにもきちんと礼をするように言う。
お姉ちゃんっぷりを発揮するミキナリーノであるが、神殿に来る前はそんなに『できのいいお姉ちゃん』ではなかった。寧ろ、礼儀と落ち着きが足りない、そんなどこにでもいるお転婆な女の子だった。
ミドナリフフはそんな娘の変化に驚き、戸惑っていた。成長した、と単純に喜べない程に変わっていた。
神殿で子どもたちの無事を確認し、喜び、安堵したミドナリフフは、当然、ミキナリーノとカトナリエスがそのままついて帰るものと思っていた。
だが、ミキナリーノは迷いもせずそれを拒否したのだ。
「な、何故だ? 大変な時に側にいてやれなかった私たちを恨んでいるのか?」
「そうではありません、お父様。挨拶は後日でもできますが、お仕事の引継ぎはしなければなりません。今までお世話になっておきながら、知らん顔で出て行くわけにはいかないでしょう。」
動揺し慌てふためくミドナリフフに対し、ミキナリーノの方が落ち着いた応対をしていた。結局、家の掃除もできていないこともあり、ミキナリーノとカトナリエスが神殿を出ていくのは翌日にということになった。
カトナリエスはともかく、孤児たちのまとめ役であるミキナリーノの仕事は多岐にわたる。掃除、洗濯、畑仕事の管理に加え、孤児たちに字や計算を教えているのだ。子どもの働きっぷりとしては目を見張るものがある。
その仕事を数人に振り分けて神殿の役目を終えると、翌日は朝食も摂らずに、神殿を出ていった。
数ヶ月ぶりの家族水入らずの昼食で、ミドナリフフはミキナリーノとカトナリエスに頭を下げる。
家を守れなかったことを。そして、長い間、その事を知りもせずに家を空けていたことを。
ミキナリーノは父親の留守中にあったことを話した。
襲撃の日、助けてもらったこと。二度目の襲撃のこと。歌を歌ってもらったこと。みんなで紙を作っていること。竹細工を作ったこと。明かりの魔法を教えてもらったこと。薬草摘みに行ったこと。
何故かヨシノゥユーのことばかりだ。ミドナリフフが、冗談半分にヨシノゥユーとは将来結婚の約束をしているのかと訊くくらいに。
「お父さん何を言っているの? ヨシノゥユーはまだ六歳だよ。」
ミキナリーノの返事にミドナリフフは目を丸くする。
「いやいや、お前こそ何を言っているんだ? 六歳の子がモンスターと戦って勝てるわけがない。」
「町の人はみんな知ってるよ。」
六歳児が狼やオーガと戦っていたなど、俄かに信じられるはずもない。
だが、膨れて言うミキナリーノが嘘を言っているようには見えない。
――多少の誇張はあるにせよ、子どもが獣や魔物の退治に参加し、活躍していたのは事実なのだろう……
そう思うと同時に、ミドナリフフには一つの疑問が生まれた。だが、それを娘に問うても答えは得られまい。
早めに組合にでも話を聞いておいた方が良いと判断した。
「私がいない間に色々とあったようだし、組合の方からも詳しく話を聞いておいた方が良さそうだな。ちょっと行ってくるよ。」
そう言って立ち上がるミドナリフフにミキナリーノが珍しいことを願い出た。
「私も一緒に行って良いですか?」
大人の難しい話に興味も示さなかった娘が、真剣な顔をして言っているのだ。
「分かった。準備なさい。」
ミドナリフフはそう言って出掛ける準備を始める。
ミドナリフフは商業組合支部に着くと、支部長への面会を申し出た。
予定よりも早い時間の来訪に驚きつつも、支部長のエミフィルテはミドナリフフを歓迎する。
「久しぶりだな、エミフィルテ。それで早速なんだが、町の状況を聞かせてくれないか? 色々大変だったと聞いたのだが。」
「ちょっとお父様、焦りすぎです。そんな早く話を進められたら私が挨拶できないじゃないですか。」
挨拶も早々に、ミドナリフフが本題を切り出すが、すかさずミキナリーノが遮り、父親に文句を言う。そして一礼し挨拶をする。
「こんにちは、エミフィルテ様。」
エミフィルテが挨拶を返して二人に席を勧めると、改めて本題に入った。
はじまりは六月九日、次いで十五日にモンスターの襲撃があり、百九十六名以上の犠牲者が出たこと。
さらにその際に、街門の扉が破壊され、先日ようやく修理が完了したこと。
モンスターは、ハンター達とヨシノゥユーという子どもの活躍によって辛くも撃退できたこと。
「最初の襲撃で、トルグーヨやカヤロマが狼に殺されてしまったのです。」
暗い表情でミキナリーノが付け加える。
「それで、どうしたのだ? お前たちはどうして助かったのだ?」
「ヨシノゥユーが狼を退治してくれたのです。」
「莫迦な。六歳の子どもなのだろう? 狼を退治などできるはずがない!」
「だって、わたし、それを見ていたんですよ?」
信じ難い話にミドナリフフは目を剥く。
だが、さらに信じ難い話が、エミフィルテから語られることになる。
ヨシノゥユーは一人で何体ものオーガを倒したらしいのだ。
「莫迦な! あり得ん! いくら何でも脚色しすぎだ!」
「だが、これも何人もの目撃者がいるのだよ。」
興奮するミドナリフフに、苦笑いしながらエミフィルテは首を横に振る。
「まあ、落ち着け。驚くのはまだ早い。」
そして、エミフィルテは記録を確認しつつ、その後に起きたことを説明していった。大概がヨシノゥユーが絡んでいる。ヨシノゥユーの名前が出てこないのは、例年の夏祭りや街門修理に関してのことだけだった。
「それで、そのヨシノゥユーはどのように扱われているのだ? いや、神殿の世話になっていることは聞いている。その、評判とか、どう思われているのかなど……」
声を落とし、ミドナリフフが訊く。それに対しエミフィルテは少し考え込み、「難しいな」と前置きをする。
「まず、我々商業組合の立場としては、彼を歓迎し、友好的な関係を築いていきたいと思っている。もっとも、敵を作りたい商人など居るはずも無かろうが。」
エミフィルテはさらに言葉を続ける。
「だが、世の中には、大きな力を持つものを恐れ、嫌う者がいる。功績を上げる者を妬む者もいる。大きな声で誰とは言えぬがな。」
ミキナリーノが眉を顰め、唇に指をあてながら小声で言う。
「小さな声で教えてください。」
苦笑しながらもエミフィルテは手招きをして、ミドナリフフとミキナリーノが顔を寄せる。
「一番は領主様だ。噂が本当なら、領主の兵ではヨシノゥユーに勝てぬからな。」
目を見開き、声を上げようとするミキナリーノを手で制してエミフィルテは続ける。
「次は神官長様だ。あの方はヨシノゥユーが魔の者ではないかと疑っている。」
組合で話を聞くと、状況はかなり悪そうであった。
ヨシノゥユーに直接的に助けられた者、家族や友人を救われた者、感謝している市民も多くいるがそれが全てではなく、市民の中にも気味悪がる者、恐れる者もいること。神殿の中も神官長をはじめとした排斥派の方が多いこと。
そして、領主は完全に排斥派であり、いつどんな難癖をつけてくるか分かったものではないこと。
ミドナリフフは一通りの情報を得ると、商業組合を後にした。一度、自宅に帰ると、すぐに領主邸へと挨拶に向かう。土産の品などは従者がすでに準備してある。
いくら豪商と言われても、ミドナリフフは一介の商人である。領主への挨拶と言っても、直接に領主本人に会うわけではない。執事や秘書に挨拶の品を渡し、少々の話をして終わりである。
早々に終わらせると、ミドナリフフはミキナリーノを伴って神殿に向かう。長旅から帰ってくるなり、大忙しであるが、それはいつものことでもある。
応接室に通された二人ば神官長が来るのを待つ。
ミドナリフフが神殿に行く理由はいくらでも作れる。食料をはじめ、生活に必要な物の多くを購入や寄付によって賄っている神殿は、周辺の町の情勢は大切な情報だ。
さらに、ミキナリーノとカトナリエスが世話になっていた礼金を、と言えば神官たちも無碍にすることはないだろう。
通された応接室は、ミキナリーノには見慣れた部屋だ。この辺りの掃除は彼女の担当だった。
「今は誰が担当しているんだろう。今度ちゃんと言っておかなきゃ。」
細かい掃除の粗を見つけて、ミキナリーノはまるで小姑のようなことを呟く。そんな娘の様子に笑顔を見せていたミドナリフフだが、ノックの音が聞こえると、急に引き締まり、真顔を正面へ向ける。
返事をして入ってきた神官長たちの手には、ヨシノゥユーが作った数々の品があった。
これはミドナリフフの来訪の口実の最後の一つである。
ミドナリフフは遥か遠い異国にまで行って貿易をしている。彼ならばヨシノゥユーの故国を知っているかもしれない。行ったことはなくても、聞いたことはあるかもしれない。ヨシノゥユーが作った品を見れば、どこの地方の物か分かるかもしれない。
ミドナリフフは裕を神殿から、この町から出す方法を教えていた。
これまでに聞いた話をまとめると、ヨシノゥユーはとても強く、正面から戦って勝つのは困難であることが予想される。
だが、亡き者とするには、何も正面切って戦う必要はどこにもない。端的に言えば、食事に毒を混ぜ込めばそれで終わりだ。英雄や王が毒殺された話など幾らでもある。
ヨシノゥユーが作った品が本当に知っている国の物であれば、そこに連れていく。それが一番分かりやすく、角が立たない。
それがダメなら、引き取る方向で話をする。護衛でも何でも、隊商に同行して貰えばメリットは大きいはずで、話の筋は通るはずだ。
ミドナリフフがミキナリーノから見せられた紙は、彼も見たことがない種類の物だったが、それだけで判断することはできない。
単純な話だ。
本来、使う材料がこの辺りでは手に入らない、ということは十分に考えられる。手近なもので代用した結果、本来とは異なる姿になってしまっていても何の不思議も無いのだ。
ミドナリフフは、一つ一つ手に取って見定めていく。竹籠はこの辺りではあまり使用されないが、広く使われている地域もある。簾も見たことが有る。しかし、豆鉄砲や竹馬は見たことが無いものだった。
しかも、使用方向が見当もつかない。
どう使うのかは、ミキナリーノが教えてくれた。
豆鉄砲は豆や小石を飛ばす玩具。誰が作った物が一番よく飛ぶのか競うのだと言う。
そして、二本の棒に乗って器用に歩く娘を見た時は、驚きを超えて呆れてしまった。
「お転婆は治っていなかったか。」
笑いながら言うと、ミキナリーノは真面目な顔で果物の収穫に便利なのだと言う。
結局、見た事もないような物もいくつかあり、ヨシノゥユーの故郷は分からずじまいであった。
ミドナリフフはヨシノゥユーの話の前に、個人的に興味があることを聞いてみる。
「紙はどうやって作っているのですか? 作っているところを見せて貰えないだろうか。」
断られるかとも思ったが二つ返事で了承され、作業場に案内され、ミキナリーノが説明を始める。
匿さなかった理由は簡単だった。必要な道具、材料、工程、その全てをミキナリーノが説明できるのだ。そもそも、すべての工程を子どもがやっているのだ。何も難しいことがない。
「やはり、あの紙は不完全なものである可能性が高いな。叶うならば、完全版の紙を見てみたいものだ。」
ミキナリーノは自分達の紙が莫迦にされたような気がして不機嫌な顔をして言う。
「あの紙一枚でパンが四十個も買えるの!」
その金額は商人への卸価格である。市価で買おうとするとその五割増しになる。そして、それを子どもだけで作ることができてしまうのだ。この方法が広まったら紙の価値が変わってしまう。
ミキナリーノとミドナリフフが応接室で話をしているころ。
章旗を掲げた十数名の兵士が神殿の前に現れた。彼らは領主の抱える正規軍である。
「ヨシノゥユーを引き渡して貰いたい。」
隊長が告げると神官達は顔を見合わせる。いくら彼らが裕を疎ましく思っていたとしても、理由も示さずに「引き渡せ」と言われて応じることはできない。
言われたからホイホイと応じていたのでは、彼らの立場が落ちるばかりだ。領主や貴族たちからの怪我や病気の治療要請も、ちゃんと謝礼を要求しているし、今まではそれは支払われてきている。
理不尽なことでも命令すれば言うことを聞く。
それを一度通してしまえば、その後、謝礼が支払われることはなくなるだろう。
そのようなことは避けなければならない。
そうは言っても、領主の兵が来ているのを無視することはできない。来客中であるとは知っていても、神官長への報告に走ることになる。
急な報せを受けると、神官長も慌ててやってきた。
「一体何ごとですかな?」
「ヨシノゥユーがこちらにいるのは間違いないですな? 彼に他国の工作員の嫌疑が掛かっている。」
神官長の問いに、硬い表情を崩さずに隊長は答える。
「そんな莫迦な。あれはまだ幼い。あんな子供を工作員にして、何ができるのでしょう?」
「今すぐにヨシノゥユーを連れて来たまえ。」
傍らにいた神官が反論するのを遮り、神官長が命令する。
――領主が何を考えているのかは分からないが、自分達が恨みを買わずに済ませられるならば都合が良い。
そう考えた神官長は、内心を悟られぬよう顰めた表情を作る。
「あれが何か悪さをしているようには見えなかったが、領主様が疑われるのならば仕方あるまい。本人にやましいところが無いのであれば、堂々と取り調べを受ければよいのだ。」
そして、神殿としてはおかしな人物を匿うつもりはないと言いながらも、協力する見返りを暗に要求する。
神官長とは中々したたかな人物のようだ。
程なく、神官が裕を伴って戻ってくる。
「貴様がヨシノゥユーか。領主の名の下に貴様の身柄を確保する。一緒に来てもらう。」
隊長が一方的に宣言し、数人の兵士が裕を取り囲む。子ども相手に厳重なことだが、町での噂からすると、これでも足りないくらいだろう。
「お断りします。と言ったらどうしますか?」
状況が分かっているのか分かっていないのか、裕は兵士達を見回して言う。
兵士達が一斉に緊張した面持ちで身構える。隊長は無言のまま裕を睨みつけている。だが、口元は引き攣り、焦りの色がありありと見て取れる。
一触即発の圧に呑まれて神官達が身動きすらできないでいると、ミキナリーノとミドナリフフがやって来た。
「一体何があったのですか?」
怪訝な表情で兵士たちを見回しながらミドナリフフが問う。
「罪人を捕らえています。危険ですので下がってください。」
隊長が怯えたような掠れた声で返す。そんなに裕が怖いなら、敵対しなければいいのにと思うのだが、彼も仕事なのだろう。
「ヨシノゥユーが何をしたって言うのですか?」
そう問うミキナリーノに、神官長が一喝する。
「子どもには関係無いことだ。さっさと退がれ!」
「関係あります。私は昨日までその子の面倒をみていました。彼は罪人と言われるようなことなどしていません。」
丁寧な言葉は崩さず、しかし口調を強めて言う。
「ヨシノゥユーには工作員の嫌疑が掛かっている。」
隊長は先程の言葉を繰り返した。
「それはどういう事ですか? 彼は先日町を救ったのではなかったのかな? 我々の恩人を不用意に罪人呼ばわりしないで頂きたいのだが。」
ミドナリフフの言葉に何か思う所があったのか、隊長は軽く頭を下げる。
「済まないが私も話を詳しくは聞いていない。申し開きは裁判の際にしてくれないだろうか。」
隊長の言葉に納得はできないが、これ以上ここで言い争うメリットは無い。そもそも、隊長には裕を連れて行くという選択肢しかないのだろうから。
「では、私も同行しよう。」
「私も行きます。」
そういうミキナリーノに、ミドナリフフはそっと言った。
「いや、ミキナリーノは組合に行って、組合長にこの事を伝えてくれ。味方は多いほうが良い。」
ミドナリフフの言葉に、ミキナリーノは町へと駆けだす。
――やはりお転婆は治っていないな。
走り行く娘の後姿を見て、父親は一瞬だけ目を細めて、隊長とヨシノゥユーに言う。
「では、行きましょうか。」
町を一望できる小高い丘の中腹に領主邸は築かれている。裕を連れた一行は、そこに向かっていた。
兵士達は裕を囲みつつも、少し距離を取っている。彼らも裕の実績は聞いている。裕の力を恐れないはずが無い。
「私が本当に暴れたら、どうするおつもりだったのですか?」
裕は余計な事だと思いながら聞いてたが返事は無い。
「いえ、暴れませんよ。あなた達が大人しくしていれば。」
それは自分達への脅しととらえ、兵士達は身を固くする。平然と余裕の笑みを浮かべている裕と比べると、どちらが連行されているのか分からない様相である。
「恐ろしいと思うなら、仲良くして味方にした方が良いと思うんですけどねえ。」
誰にともなく言う裕の言葉に、ミドナリフフは笑って言った。
「君は商人に向いているな。力のある者とは可能な限り友好的な信頼関係を築いた方が良い。全く同感だよ。」
「敵を増やして良い事ってあるんですか? 私には分かりません。」
「私にも分からないな。敵は少ない方が良い。」
裕とミドナリフフの雑談を、兵士達が恨みがましい目で見る。兵士とは別に戦闘狂なわけではないのだ。敵なんていない方が良い。命を張るのは彼ら自身なのだから。
審議場に着いた裕は、中央に行けと言われたので、そこにある台に座る。未だかつてそこに座った者は無い。そんな事は知らない裕は、自由であった。
隊長は何か言いかけたが、此処に連れて来るまでが彼の仕事であり、暴れだしたりもしない限り、その行動に口出しするものではない。
兵士達が審議場を出て持ち場に戻ろうとすると、傍聴希望者の一団とすれ違う。各種組合の幹部がいることに驚きはしたが、特に何をするでもなく、そのまま通す。
兵士達はヨシノゥユーの審議が非公開という話も聞いていないし、大勢の傍聴者がいるのも珍しくはない。武装してもない者を拒む理由など無いのだ。
審議場の傍聴席は人で溢れていた。ミキナリーノからの報せを受けた商業組合から各方面に速やかに伝達され、極短時間で驚くほどの人が集まった。そんな中、裕は中央の台に座ったまま、周りの様子をみていた。
裁判官が開始を告げると、場内が静まり返る。
「ヨシノゥユー、起立せよ。」
裁判長が苦々しい顔で言う。かつてこの様な態度の罪人がいたであろうか。太々しいのか、子ども故に単に何も分かっていないのか。
裕は、言われて立ち上がり、真っ直ぐに裁判官の顔を見る。
「ヨシノゥユーで間違い無いな?」
裁判官の問いに、裕は肯定の返事を返す。
「お前は何所から来たのだ。」
裁判官がさらに問う。裕は神殿の正式名称も住所も知らないことに今更気付いて言葉に迷う。
「えっと、神殿から来ましたが……」
裕の返答に、傍聴席から爆笑が上がる。
裕は話の流れ的に、この質問は取り違え防止のための一環としての住所確認であると認識したのだが、この国の裁判では被告の住所確認などのプロセスは無い。裁判官の意図としては裕の出身国・地域を問うているのだ。
……裕には全く伝わっていないが。
「お前は何故此方に来た?」
裁判官は怒りの混じった声でさらに問う。しかし、やはり裕には意味が分からない。
「何故って、そこの兵士さんに来いと言われたから来たのですが。」
「どうやって来た?」
「普通に歩いてきましたよ。飛んだりはしていません。」
噛み合わない問答が続く。傍聴席に笑いの嵐が吹き荒れている。
「貴様は私を莫迦にしているのか!」
裁判官の怒鳴り声に場内は静まり返る。
「私は莫迦になどしていません。あなたが愚かなだけです。」
もともと裕はこの決め台詞を、数か国語で言うことができる。今ではこの国の言葉もその一つに入っていた。
得意満面の裕であるが、場内は凍り付いていた。
「ヨシノゥユーを某国の工作員と判断し、打首とする。何か申し開きはあるか?」
沈黙を破った裁判長の発言に、傍聴席から一斉にブーイングが飛ぶ。裕はと言えば、言葉が半分も分からず、どうしたものかと考え込んでいる。
「静粛にせよ!」
裁判官が机を叩きながら何度も叫び、やっとブーイングが収まる。
腹立たしく思っていても、裁判長は、自分が、そしてこの町が裕の怒りを買うようなことは避けたかった。領主は打首にせよと言うが、それは現実的に無理がある。
恐ろしい化物を倒したと言うこの子どもが本気でその怒りを撒き散らしたのなら、どんな被害がでるのか想像がつかない。
「ヨシノゥユーがこの町に来たその日にモンスターの襲撃があった。これは偶然なのか?」
この嫌疑に関して、誰も肯定の根拠も否定の根拠も持っていない。
原告側の主張は『モンスターを嗾け、町を襲った凶悪な者』であるが、その根拠は無い。
被告側の主張は『モンスターと戦い、町を守った善良な者』であるが、やはりその根拠は無い。
ならば、釣り合う程度の賞と罰の両方を与えてしまえば、なんとか上手く治まるのではないか。
打首は論外だが、百叩きでは見合う賞が思いつかないし、何より絶対に領主が納得しない。
裁判長が必死に脳みそをフル回転させて考えた結果、領外への追放と褒賞金の授与という結論に達した。
端的に言えば、立退料を払うから出て行ってくれ、ということである。
そこへ至るための幾つかの問答を経て、裁判長は判決を言い渡した。
町を襲い脅かした懲罰として、領外への追放を。
ただし、町を守り救った褒賞として金貨十四枚。
金貨十四枚は、銀貨にすると一三七二枚、銅貨だと二六万と八九一二枚だ。一人暮らしの子どもなら、二年くらいは生活できる金額である。旅費、そして着いた先での生活基盤を整えるための資金としては十分である。差し引きゼロどころか、賞の方が上回っているかも知れない。
裁判長は報奨金を革袋ごと裕に渡し、小声で告げる。
「済まないが、三日以内にこの町を出て行ってほしい。そうすれば誰も傷つかずに済む。」
そして裁判長はドヤ顔で裁判終了を告げる。傍聴者たちは、一体何がどうなっているのか分からずに呆けた顔を見合わせているのだった。
裁判が終わり、ミキナリーノが手招きをしているのが見えた裕は、裁判官たちに一礼してからそちらに向かう。そして、ミドナリフフに隊商と一緒にと誘われるが、裕はそれを断った。
「三日以内に出なければ、良くないことが起きるらしいです。」
ミドナリフフはそれを言う裕の表情を見て、諦めた。脅され怯えているのであれば、引き下がるつもりは無かった。だが、裕はそんな様子は欠片も無く笑顔で自分の境遇を受け入れているのである。
「せめて送別会を開かせてくれ。」
ミドナリフフの言葉に、裕は目を輝かせて肉を所望した。
神殿の食事はとても質素なのだ。現代日本の食事に慣れた裕にはとても物足りなく寂しいものであった。もっとも、一般庶民の食事は同様に質素なのだが、裕はそんなことは知らない。
この地域では肉を得るために家畜を飼育するということはされていない。多くの肉は狩猟で得たものなのだが、その主な狩場である森は骸骨兵の騒ぎで鳥獣がいなくなってしまっているために、肉の流通量は極端に少なくなっていた。
そのことをミドナリフフに説明され、裕はがっくりと肩を落とした。
裕の送別会は魚料理がメインに据えられていた。
ハンター組合、農業組合、商業組合の各支部長が資金を拠出することとなったため、かなり豪勢な食事が振る舞われる。
魚を香草で包んで焼いたもの、木の実を挟んで焼いたパイ、野菜と魚のマリネ、そういった文化的な料理と言えるものを目にして、裕は目を潤ませる。
食事をしながら、ミドナリフフは気になっていたことを裕に訊いた。紙が不完全であることについてである。
「材料や道具。後何が足りないのだ? どのような工程が必要だ?」
裕はこれまでにそんな質問を受けたことが無い。裕の作る紙は、この町で一般に知られている羊皮紙と比較して決して劣ってはいない。
「最高の紙を作る手順をお伝えするのは構わないですが、その方法だと作るのに九十八日掛かります。」
驚いたミキナリーノが横から口を出す。
「そんなに? 今は四日で作っているじゃない。」
裕は笑いながら答える。
「普通はそれで十分ですよ。」
ただし、と裕は付け加える。板と簀を良いものに替えれば紙の品質は上がる、と。
翌日、裕は旅に必要な物を買いに町に出る。背負い鞄やナイフや小型の鍋などアウトドア用品を揃えなければ、町を出たら次の町に着くまで食事すらできない。
テントを背負うのは不可能だと諦めた。重力遮断を使える裕に重量は関係ないのだが、嵩張りすぎると運び辛いし、風に煽られるのは防ぎようが無い。
諸々合わせると銀貨二十八枚にもなったが、褒賞の金貨十四枚からすれば大したことはない。まだ金貨十三枚に銀貨七十枚残っているのだ。
神殿の部屋に戻った裕は、荷物の整理をする。神殿から支給されていた服やナイフを返却し、最初から履いていたサンダルを処分する。そして、自分用にと確保しておいた紙を出し筆を執る。七枚を使ってミキナリーノに異国の知識の補足と発展のさせ方を。他三人に一枚づつ知識に関して補足と注意事項を。
すべきことを全て終えた裕は、三人に向けた手紙を持って子ども部屋に向かう。裕は明朝早くに町を出る予定であるため、子どもたちとの時間はこれが最後になる。
夕食後、裕は製紙作業場に来ていた。現在の製紙方法を試してからちょうど三ヶ月。改めて見回すと中々に感慨深い。特に漉き枠と板はど根性の力作である。
「またこれを作るのか?」
裕の背後から声が掛かる。
「たぶん、これとは違うものを作ると思います。」
裕は正直に答える。
ここにあるのは、高品質で大判の紙を作ることなど全く考えていない、いわゆる『子ども向け』の物だということ。
次にやるときはもっと大掛かりな、大人を雇用することも視野に入れた事業になるだろうこと。
神官は声を上げて笑う。六歳の子どもが大人を雇って事業を行うなど聞いたことがない。だが、不敵に笑うこの黒髪の子どもならばできてしまいそうだった。
日の出前。
東の空が白みかける頃、裕は目を覚ました。
裕は荷物の見直しをして扉を出る。無人になった部屋に一礼し、扉を閉める。大礼拝堂に着くと、神官達が勢揃いしていた。
「おや、みなさん。おはようございます。」
裕は、神官達に挨拶をすると、神殿の祀る主神の像に向かい、礼をする。軽く黙禱を済ませ、神官達に向かって礼をする。
「今までお世話になりました。」
裕はこの国の言葉で言い、日本語で繰り返す。
神殿を後にした裕は、街門に向かって歩く。東の空が眩しい。日の出はもう直ぐだ。夜中に雨が降ったのだろう、水溜りの跡が残っているが、空は良く晴れている。
「ヨシノゥユー!」
朝っぱらから近所迷惑な大声が上がる。ミキナリーノである。裕は苦笑いしながら歩み寄る。
「本当に行っちゃうの?」
裕は黙って首肯し、紙の束を取り出す。四十九枚の紙には細かい文字がびっしりと書かれていた。数学に物理学の初歩からはじまり、紙や材料加工の技術的なことが。
「お父さんと一緒に読んでください。」
目を丸くするミキナリーノに、裕は笑いながら言った。
「これで、この町でやる事は全て終わりです。ミキナリーノ、今まで本当に色々とありがとうございます。」
言って、裕は深々と頭を下げる。
「では、お元気で。」
裕は再び歩き出す。もう夜は明けている。街門も開いているだろう。
裕は歌を口ずさみながら歩く。重力遮断魔法で飛んでいくなんて無粋なことはしない。
旅立ちとは、自分の足で行くものである。
裕の冒険は、今始まった。