第7話 神と紙
数日後、森から現れた骸骨兵は完全に姿を消し、街道も復帰したことで、町は完全に活気を取り戻していた。
そして、裕は紙の生産を開始していた。品質は現代日本の紙と比べるとゴミみたいなものであるが、それでも誰もが紙であると認識し、紙としての機能を持っているものになっていた。
筆を作るのは簡単だ。自分の髪の毛を切って束ね、細く削り出した棒の先に括り付ける。大量に作って売りに出すのでなければそれで十分だ。
墨も然程の問題は無い。厨房の竃の煙突掃除をして煤を大量ゲットしてあった。あとはそれを水に溶けば墨液ができる。
裕の作った紙は、神官達の間でも話題となっていた。紙の原料は、木であるが、それが問題なのだ。
「森は神の与えし恵み。大切にしなければならないものだ。それを紙にするために木を伐るなど、莫迦を言うんじゃない。」
神官長は語気荒く神官たちを睥睨する。
「燃料確保のためにも、木を植えて育てることも行われています。そちらから木材を回してもらえば良いのではないでしょうか」
「森は神により与えられたものだ。それを人が作るなどということが、烏滸がましいというのが何故分からんのだ!」
同じ神殿の中でも、教義の解釈に差があり、意見が異なる者がいるようだ。
神官長を中心として、とにかく原生林を大切にしろと言う者たち。原理主義とでも言えば良いのだろうか。
彼らは、木を伐って紙に加工するなど、悪魔の所業だと力説する。
その一方で、木を植え、林を管理して育てて行くことで、効率よく木材を得ることができるという、いわゆる林業派の者たちがいる。
彼らは、畑で穀物や野菜を育てるように、人工林で木を育てて薪や木工品などの材料にすれば良いと考えており、紙づくりにも理解を示している。
もちろん、森が無くなってしまうほどの伐採などするつもりは無いが、孤児たちが食べていくための資金を得る程度であれば、と考えているようだ。
一ヶ月ほど前のモンスター襲来によって、面倒を見ている孤児が増え、神殿の財政状況が悪くなってきているのだ。何とかしないと、冬を越せずに死亡してしまう子どもたちが続出することになってしまう。
神殿も畑を持っているが、それで食い扶持の全てを賄えるわけではないし、今から植えて採れる野菜も限られている。食糧調達のためにも、収益源の確保は必要なことなのだ。
斯くして、裕は神官に呼び出された。一日にどれくらいの紙を生産できるのか。そしてそれは幾らで売れるのか。
神官の質問に対し、裕は答える。
「四日で十六枚。鍋があればもうちょっと増やせる。幾らで売れるかは分からない。」
これまでに作られた紙の数と日数から計算したものよりも少ない数を答える、これは工程に天日干しが含まれるため、雨天時にはストップしてしまうためである。
そして、通貨単位も分からない裕には、紙の相場など知るはずもなかった。
神官は紙を売って良いのかを念を押して確認する。
裕は少しだけ考えて頷いた。
午後、裕は神官に連れられて街に出た。紙の売却交渉と、鍋の購入が目的である。
他の町との交易を大きく展開している商会を訪れ、神官は主人との面会を求める。
応接室に通された二人は、軽く雑談の後、商談を開始する。
商談とは言っても、神官には商売の駆け引きなど経験がないし、裕はまだまだ言語力が足りていない。
「この紙を売りたい。幾らで買って頂けるでしょうか。」
神官の質問は単刀直入だ。もったいぶることも包み隠すこともない。
鞄から出された紙を受け取り、商人は穴が開きそうな勢いで紙を睨め回す。
持ってきた紙の大きさはB4サイズ程度。それを光に透かしたり、振ってみたり、目を近づけたり離したりと、じっくりと確認する。
「少しだけ破っていいかな? それと字を書いてみたい。」
商人にも、この紙は見た事がない種類のものらしく、価値を見定められずにいるようだった。
「これで。」
裕は、既に試し書きがされている二枚の紙を出した。一枚には大きく『好野 裕』、もう一枚には鶴らしき絵が描かれている。
商人はペンを取り出して紙の余白に走らせる。
そして、紙の一端を破り取ってみた。
「確かに紙ですな。」
しきりに頷きながら言う商人に裕は苦笑する。紙を作ったのだから、紙であって当然だろう。これが、いつの間にか絹の布になっていたら驚き桃の木山椒の木というものである。
裕や神官としては、問題はそれがどれほどの価値になるのかということだ。
「随分と薄いわりに、均質な厚さですね。品質は悪くはない。」
商人は感心したように言ったことで、裕と神官は安堵の息を吐く。
だが、商人としては、それで話は終わりではない。
「この紙には欠点、弱点と言えるものがある。そのうちの三つを挙げてみていただけますか?」
二人をジロリと見ながら商人は指を立てる。
神官は不機嫌そうに商人を睨むが、裕の方は平然としている。
「一、火に弱い。とても燃えやすい。二、水に弱い。濡れると、とても破れやすい。三、作れるの少しだけ」
殆ど単語を並べるだけなのに、それなりに伝わる言葉になっている。
だが、裕の説明は、羊皮紙のことを完全に無視したものだ。羊皮紙だって火にくべれば燃えるし、水に濡らしたら大変なことになる。そして、生産性があまり良くないのも同じである。
寧ろ、植物を漉いた紙は、羊皮紙よりも水への耐性は高いともいえる。濡れただけならば、乾かせば使えなくはないのだ。
商人は散々迷い、紙十四枚に銀貨五枚半の値をつけた。これは平均的な品質の羊皮紙と同じくらいの売価になることを見越したものだ。
なお、銅貨が百九十六枚で銀貨一枚である。パン二個を銅貨三枚で買っていたことを考えると、紙の高級さが分かる。
だが、神官の反応は違った。
「少し安いのではないか? 羊皮紙はもっと値が張るではないか。」
「そうおっしゃいましても、うちの取り分が無いと、商売にならんですよ。あの値段で売りたいなら、自分たちで店を構えて売れば良い。」
神官は厳しい表情で、もっと値を上げろと要求するが、商人は当たり前のことだと突っぱねる。
「ヨシノゥユーはそれで問題ないか?」
難しい顔をしながらも神官は裕に確認するが、そもそも裕は、紙の相場など知りもしない。良いも悪いも無いのだ。むしろ、売るほどの価値があることに胸を撫で下ろしている。
結局、神殿からの売却価格は商人が最初に提示した額に落ち着いた。
そこから計算すると、一ヶ月で銀貨三十八枚半。材料の木材購入費を考えても、子ども達の食費としては十分な稼ぎになる。裕によれば、道具があれば増産できるとのことであるし、鍋くらい買えば良いのだ。
神官にとっては、欲張って神殿の印象を悪くしてしまう方が問題だった。
今回は十四枚。今後も継続的に売りたいことを伝えると、商人は顔を綻ばせる。