054 練習! 水中でも息ができる安心仕様
興奮する人たちに付き合ってもいられないので、わたしは錬金工房の方に行ってみようかと思ったが、先に向こうから来てしまった。
「広ッ! これ、どこまで行けるの?」
「何がどこにあるか探さないとだよ。まずは、森だね」
「森で何採るの?」
「茸とか薬草?」
何を作るために何を探しているのかはよく分からないが、どこでどんな錬金の材料が採れるのか、色々探し回らねばならなさそうだ。
「材料も、作れる物も種類がいっぱいあるのよ。まず、何ができるのか調べないと」
錬金で作った物が各種工房の材料になるんだから、そんなことにもなるか。
ツバキとヒイラギも森の方に行ってしまったし、アンズとクルミは種とスコップを持ってきて、そこらに何やら植えまくっている。
みなさんはしゃぎまわっているが、わたしはそろそろ寝る時間だ。
明日、ゆっくり色々やってみればいい。
「わたしはもう寝るよ」
「おやすみ。僕ももう上がるよ」
ということでホームに戻ってログアウトする。
十月十日の月曜日は祝日である。
つまり、朝からゲーム三昧と言うことだ。
ログインすると、早速、湖畔へと行ってみる。こちらの時間は午後のようで、太陽が少し西に移動してきている。
私がこの湖畔で興味あるのは水の中だ。ゲームマスターも水泳の練習ができると言っていたし、ちょっとやってみようと思う。水泳が苦手だと言っているわけにもいかないだろう。実際に溺死する心配のない仮想世界で練習しておけば、現実でも泳げるようになるかもしれない。
足の装備を外して素足になって水辺に立つと、ひんやりと気持ちいい。足下もよく見ずにちゃぷちゃぷと水の中に入っていくと、膝程度の深さだったのが急激に深くなっていたようで、一気に体が沈んだ。
一瞬、溺れて死ぬかと思ったが、水の中でも苦しくなかった。普通に息ができる。代わりに、視界の左上にゲージが表示され、少しずつバーが減っていく。
これが尽きたら窒息してお陀仏ってことなのかな? だが、試してみるつもりはない。とりあえず、泳ぐ練習だ。
頑張ってバタ足をしていると、ゲージが尽きる前に水面に顔を出すことができた。ゲージには気を付けないといけないけれど、息が苦しくないし、鼻も痛くならないっていいね。
手足をバタバタと動かしていると、体が進んでいく。
うまれて初めて泳ぐのが楽しいかもしれないぞ。
と思っていたら、突然、後ろから肩を掴まれて引っぱり上げられた。
「ユズ! 大丈夫か⁉」
「へ? どうしたの?」
「溺れているようにしか見えなかったんだが……」
そんなに私の泳ぎは下手なのか。知ってはいたが、すこしばかりショックである。
そして、何故か、ツバキから泳ぎを教わることになった。
「水泳の基本はバタ足でしょ? それくらいはできるよ」
「違う。バタ足はしない方が良い」
なんと、わたしが小学校で習った泳ぎ方はダメらしい。
「両足を揃えて、腹の辺りから後ろに水を押すように蹴り込むんだ」
見本を見せながらドルフィンキックのやり方を教えてくれるが、これはパワーが要りそうだ。
「大丈夫だ。生身ならキツいかもしれないけど、仮想世界では筋力があることになってるからな」
そういえば、数値的には初期値はみんな同じで、レベルが上がるにしたがって膂力は伸びていく。そして、私が装備している『剛腕』は膂力が二倍になるトンデモなアイテムだ。
まちがいなく、今の私の膂力はこの世界で最高峰だろう。
ならば、できるはずだ。わたしにもドルフィンキックが!
どっぱん、どっぽん、と盛大に水しぶきを上げながら三十分も練習していると、なんとかまともに前に進むようになってきた。
「水の中で息できるってメチャメチャ楽だけど、その感覚で現実で水に入るなよ? 間違いなく死ぬぞ」
「それくらい分かってるよ。これはただのゲーム。まあ、体の動かし方は参考になるけどさ、それだけでしょ」
でも、区別がつかなくて事故を起こす人は出てきそうだけどね。さすがに剣を振り回すバカは出てこないと信じたいけれど。
ある程度できるようになると泳ぐのが楽しく、調子に乗って泳いでいると、壁にぶち当たった。
そりゃあ、もう派手にゴツンと。
農園と違って、湖畔は境界が分かりづらい。陸の部分には小さな柵らしきものがあるので、陸の上からだとあの辺だろうとはわかるのだが、泳いでいたら全く分からない。
わたしが水泳の練習と称して水遊びをしている間、ツバキは湖に潜って、そこの方に何かないか探し回っている。結論から言うと、大小種々の魚がいて、水草も種類が豊富に生えていることが分かった。
そういえば、ゲームマスターは釣りができるとかも言っていたっけ。淡水魚だとマスとかイワナだろうか。他には……、よくわからん。他のゲームでも釣りはやっていなかったしなあ……
「そういえば、水の中で魔法って使えるのかな?」
「それは試していないな」
ということで試しに詠唱して水中に向けて撃ってみると、射程距離は短いものの炎と氷は可能。電撃は自爆にしかならず、風と水は見えなかった。
水の中で水の球とか、見えるはずがないよね。尚、毒は湖が汚染されると困るので却下だ。
そして一番重要なのは、水中では声を出すことはできないということだ。息は苦しくないが喋ることもできず、当然のように魔法の詠唱もできない。
剣や槍を振るにも不安定で力が入りづらいし、水中戦はかなり難しそうだ。第二階層の池に挑戦できるのはいつになることやら。
「ふう、楽しかったー」
時計を見ると、二時間くらい湖で遊んでいたらしい。ちょっと遊び過ぎたような気もするが、水中でどれくらい活動できるのかを知るのは大切だ。
うん。大切なのだ。
ということで、次は錬金工房へと向かう。尚、クランホームに戻る頃には濡れた体は完全に乾いていた。さっきまで水に浸かっていたのに、仮想空間は便利なものである。
錬金工房は、いろいろごちゃ混ぜの空間だった。
魔女の大釜のような物に、天秤や壺が並んだ棚があるのは良いのだが、巨大な流し台に、何故か冷蔵庫とか炉のような物まである。
一体これで何を作るのか謎である。
机の上に置かれている冊子は分厚い。
「メチャメチャ種類あるなこれ」
「これ、一人でやるの?」
「ヤナギとキキョウの二人とも錬金で良いんじゃねえか?」
「木工とかどうする? 人集める?」
「後でみんなに相談しようぜ」
一口に薬と言っても、傷薬に解毒薬、バフ的な薬という人に使う薬があり、さらに農薬や肥料、敵に投げつける毒薬や爆薬、武器の強化に使う魔法薬、皮革や織物の染料など、やたらと守備範囲が広い。
一人で手が回るかはやってみなければ分からないが、他の工房の生産を支える根幹にもなるからあまり手抜きにもしたくない。
「さて、この後どうする?」
「時間的にはそろそろお昼ご飯なのよね」
「あれ? マジ?」
マジマジ。もう十一時半すぎてるから。本当に仮想世界にいると時間感覚がなくて困る。こまめに時計を確認しないと、今、何時だか本当に全く見当がつかなくなる。
一度ログアウトして、買い物に行く。
意識して体を動かすようにしておかないと、寝たきりになってしまいかねない。
今日のお昼ご飯は焼きそばである。スーパーで麺が安かったのだ。
キャベツを大量に刻んで、長ネギに人参も加える。お肉は豚モモ薄切り肉を使って野菜と一緒に塩コショウで炒めて、火が通ったら麺を投入。
そこに大匙一つほどの日本酒を入れて麺をほぐすのが、我が野村家の焼きそばの作り方だ。
火を止めてからソースを掛けて完成! 一人暮らしの横着者はフライパンからそのまま食べるのだ。