第24話 平凡ではない平和な中学生活
夏休みはほぼ最後まで東京に滞在して終わった。八月下旬には二学期が始まると言ったら驚かれたが、札幌の学校なんてそんなものだ。
破落戸どもから奪ってきた模造刀は警察に取り上げられてしまったが、お金の方はしっかりと隠し通して確保してある。札幌に帰ってきてから確認したが、偽札という様子もないし大丈夫だろう。
私が何も言われていないということは、宮永さんもお金に関しては何も言わなかったのだろう。余計なことを言って取り上げられてしまえば、やられ損になってしまう。奴らが死んでしまった以上は謝罪も慰謝料もなく、怖くて嫌な思いをしただけで終わってしまう。
「おはよう」
言いながら教室に入る。なんだか懐かしい気分になるが、今年の夏休みはそれだけ色々あったということだろう。いきなり「人殺し!」と食ってかかってくるクラスメイトもないし、実に平和である。
「受験まであと半年だ。みんな気合い入れて勉強しろよ」
始業式の後、ホームルームが始まると新しく担任としてやってきた野田先生が言う。死亡した吉田先生の代わりに急遽赴任してきたこの人には責任は一切無いのだが、受験準備とか言うならば学校祭とか合唱コンクールは夏休み前にしておいた方が良いのではないかと思う。
私はそんな行事に左右されることもないが、みんながみんな強靭な精神力を持っているわけでもない。楽な方、愉しい方へと流れる人の方が多いだろう。
何にしても、私には関係のない話だ。すでに中学の勉強はすべて終わっているし、今すぐ受験しても全問正解できる自信はある。一学期からすでに授業中に開いているのは高校参考書だ。これも夏休みの暇だった時間に進めてしまっているため、二学期からは二年生のものになる。
お金はたっぷりあるので、参考書を買うのも一々親に遠慮とかしなくても済むのは良いことだ。二万円程度ならばお金の出処は映画出演料と言っておけば済む。
そして、映画の出演が決まったことは担任にも言っておいた方が良い。面倒だが、放課後に職員室に向かう。
「野田先生、話があるのだが少しよろしいですか?」
「ええと、何といったっけ。すまない、まだ名前を覚えていないんだ」
頭を下げて謝罪の言葉を述べるが、着任したばかりで生徒の顔と名前を一致させていることはこちらも期待していない。むしろ、私の方から名乗るべきだっただろう。
「こちらこそ済まない、伊藤芳香です」
「伊藤くん……、ね。それで何だい?」
野田先生がパラパラとめくったのは生徒の資料だろうか、ほんの少しだけ目を落として再び私に戻す。
「唐突な話なのだが、夏休み中に映画の出演が決まったことを報告します」
「映画の撮影? どんな?」
「機密保持とやらで、具体的な映画の名前を言うわけにはいかないが、幕末を舞台としたものです。上映予定は来年の夏頃というのは言っていいはずだ」
野田先生は思ったよりも興味を持って食いついてくるが、話せることは少ない。土井副社長からの説明では、具体的な映画会社の名前を言うのも良くなかったはずだ。
「その撮影のために度々学校を休むことになる、ということだけ予め伝えておいた方がいいと思った次第です」
「映画かあ。それは良いんだけど、受験のことは考えてるのかい?」
「そこには私の成績は書いていないのか?」
指を差してやると、野田先生は机に置いた冊子を手にページをめくる。
「伊藤くん、伊藤くん。ああ、学年トップの伊藤くんか。受験を考えると、あまり休まない方が良いんだけれどね」
「何か問題が? 成績を落とさなければ構わないと思うのだが」
「頻繁に欠席する生徒は受験で不利になると言われているよ」
「それはボーダーラインの話ではないのか? 勉強はした上で、学校外の活動も頑張っているとしてくれると有り難いのですけれど」
試験では満点しか取っていないのだ。私が怠けているわけではないことは野田先生も同意してくれる。しかし、だからこそ受験勉強がおろそかになってはいけないとも言う。
「映画のことがなくとも、元より受験のための勉強などするつもりは毛頭ない。何もしなくても稲嶺高校くらいは合格できるつもりだが、甘いと思いますか?」
市内にはもっと偏差値の高い高校はあるが、わざわざ遠くの学校に通いたいとは思わない。稲嶺高校も偏差値六十近くある進学校だし、何より徒歩三十分という近さは魅力的だ。
近いから、という志望理由に先生はがっくりと肩を落とすが、その後の大学進学を考えると進学校でありさえすればどこでも構わないと私は思っている。
「甘いというか、高校によって進学先は違うものだよ?」
「全体で見ればそうだろうが、トップ十にどれほどの差がある? 東大、京大、北大、慶應に早稲田。似たようだものだ」
その下の百人、二百人を比較すれば明確に差があるのだろうが、私は最上位から脱落するつもりはない。目指す大学は地元の北大とするか東京に出るかは迷うところだが、どこにも行けないことはないだろう。
私が拒否するのは、受験テクニックとかいう将来の役に全く役に立ちそうにないことに時間とエネルギーを費やすことだ。
英語でも数学でも他の教科でも、何のために学ぶのか理解しているつもりだし、今後も力を注ぐことになるだろうと思っている。
「分かっているのなら、僕から言うことは特にないよ。ただ、映画のことはあまり大っぴらには言わないでくれると助かる」
他の生徒に与える影響が読めないとして、野田先生はお口にチャックのジェスチャーをする。釘を刺して言われずとも、私も言いふらすようなことをするつもりもない。芸能界に入るために口を利いてとか群がってこられても迷惑だ。
実際に学校を休んで東京に行くのは十月の下旬だ。水曜日から三日学校を休んで五日間を撮影に充てる。
撮影するのは主に、鎬と兼進第二戦だ。最終決戦とは逆に、鎬が兼進の刀を折っての決着である。
刀を振り回してのアクションは例によって一発OKだったが、その後の高笑いは数回撮り直すことになった。どうやら私と監督では高笑いのイメージにかなりの食い違いがあったようで、擦り合わせに少々時間を使ってしまった。
そして、なんと真剣を握る機会がやってきたのだ。
もちろん、人を相手にして真剣を振るわけではない。たとえ映画の撮影という理由があっても、それをやってしまうと警察のお世話になってしまうものらしい。
真剣を持ってきたのは古流剣術を修めているという年配の方だ。気合いを込めた青竹斬りの実演を見せてくれる。
「おお!」
竹が一本、スパっと切り飛ばされると歓声が上がる。が、反撃もしてこない動かない物を切るのは何も難しくはない。そもそも、私は歩きながらそれを連続でやらねばならないのだ。
必然的に、私のシーンはやはり失敗が許されない一発撮りだ。竹林をばっさばっさと伐りながら進み、その先にある門扉を叩き切る。
『ぬうん!』
気合いを込めて一閃し、返す刀を力一杯振り抜く。そして、刀を納めて扉を蹴り飛ばすとバギバキと音を立てて壊れ開く。
そのまま門をくぐって進めば終わりだ。
「なかなか良い刀だ。いくら出せば譲ってくれる?」
あれだけ切っても、刃こぼれなどしている様子はない。使ったら手入れは必要なのだろうが、研ぎ直しが必要なさそうなのは良いことだ。
私の頬も緩みっぱなしだ。鎬が仮面を着けているキャラで良かったと思う。素顔を晒していたら撮影になりはしなかっただろう。。
「あれだけ振り回して、傷も付けんとはの。若いのに大層修練を積んどるな」
「当然だ。だからここにいる。ところで物は相談だが、この刀を譲ってもらえぬか?」
「ほっほっほ。残念だが、この刀は譲れんよ」
やはり大切な物らしい。いくら積まれても手放すつもりはないという。私の剣の腕を信じられないレベルと高い評価をしてくれているし、力づくでと言い出せる雰囲気でもない。
そんなこんなありながらも映画の撮影は順調に進み、札幌に帰れば周囲も受験という空気が強くなってくる。とは言え、今更中学レベルをやる気にもならず私は高校参考書を広げるのみである。授業を聞けと苦情を言われたりもするが、私は既に授業ができるくらいに理解している。それを言って実際にやって見せたら諦められた。
年が明けて冬の撮影、そして三月になれば受験と最後の撮影だ。
すべて恙なく終わり、私の中学生活は終わった。何度か殺人容疑をかけられたりしているし、普通に考えれば大変な一年だったとも言えるのだが、今になってみれば笑える思い出だ。
そして、この時の私は全く予想もしていなかった。高校に入学して一か月もせずに、この世界とオサラバしてしまうことになるなんて。