第5話 勝利だべや!

クマの目が覚めた。

鉄格子の檻の中。

居眠りしていた道熊能は麻酔を打たれ、檻の中に運ばれていた。

「知らない鉄格子だ。」

知っている鉄格子はあるというのだろうか、目覚めた道熊能が呟く。

「誰ぞ! 誰ぞおらぬか!」

起き上がると急に殿様口調で叫ぶ道熊能。キャラが安定しないのはどうしたものか。

道熊能が叫んでいると、飼育員がやって来た。

「やっと目覚めたか。このドロボウグマめ。」

「誰か泥棒か!」

いきなり泥棒呼ばわりされ、憤る道熊能。

「クマのエサを食い荒らしたのはお前だろう! 知らんとは言わさんぞ!」

「あ。」

「あ、じゃねえぞ。このクマ野郎!」

「俺は、いや、吾輩はクマではない。道熊能だ!」

ワケの分からないことを叫ぶ。

「まあ良い。もうお前はここから出られん。一生、檻の中で罪を償うんだな。」

盗み食いで終身刑とは、動物園とは恐ろしいところだ。

「そんな馬鹿な! 横暴だ! はっ、そうだ、弁護士! 弁護士を呼んでもらおう。」

「ふざけるな。獣が偉そうに弁護士とか言ってるんじゃねえぞ。」

「ふざけるなはこっちの台詞だ! これは人権侵害だ! 訴えてやる!」

「うるせえ。クマに人権なんか無いんだよ。もうお前はそこから出られないんだ。」

飼育員は偉そうに見下して言う。

まあ、実際、クマには人権は認められないだろう。本当に裁判をしても、動物園の檻の中に入れておくのは不当なので野に放つべき、という判決にはならなさそうだ。

「エサを出すのは俺だからな。欲しかったら、芸の一つでもしてみせるんだな。」

「何だって? くっそおおお、何で俺がこんな目に遭わなきゃならないんだ。テメエ、木村、お前は絶対に許さないからな! 覚悟しておけよ!」

道熊能は木村飼育員を睨み、呪詛を吐く。

「な、何故、俺の名を! テメエ!」

胸に付けたネームプレートにしっかり『飼育員 木村正司』と書かれているからだと思う。

「出せ、ここから出せ!」

道熊能は叫びながら鉄格子に体当たりをするが、クマ用の檻はビクともしない。まあ、そりゃあそうだろう。そんな簡単に鉄格子を壊せるようでは困る。

「はははははは。無駄だ。何度やっても無駄なんだよ! お前ごときの力でその檻を破れるものか。檻の中のクマらしく、その中でグルグル回っているが良い。」

高笑いをし、勝ち誇る木村。

「ちっくっしょおおお。ふざけんな。許さねえ。許さねえぞ!」

道熊能は鉄格子を前足でこじ開けようとする。

「無駄だって言ってるだろう。」

しかし、嘲笑する木村の後ろで、水島が驚きの声をあげた。

「な、馬鹿な。ベアーパワーが上がっている?」

怪訝そうな表情で振り向く木村。

「三百万…… 四百万…… まだ上がるのか! そんな、檻がもう持ちません!」

変なことを叫ぶ水島。

「お前、何言ってるんだ? 頭大丈夫か?」

木村は引き気味に水島に声を掛ける。

しかし。

「火ァ事ィ場ァの、クマぢからァァ!」

渾身の力を振り絞り、檻をこじ開けようとする道熊能。クマではないと言いながら、クマを自称するな。

「ベアーパワー五百万! 鉄格子が壊れます!」

水島が悲鳴のような叫び声を上げる。

「ベアリックパワー、十倍だァァー!」

めきめき、ばきょばきょと物凄い音を響かせて鉄格子をこじ開ける道熊能。

驚きである。何でこんなチートみたいなチカラがあるんだ。これは田村のものか、あのヒグマが持っていた力なのか。

いずれにせよマズイ。これは非常にマズイ。このままでは、この物語がおかしくなってしまう。

第一、俺はチート物はあまり好きじゃないんだ。

ということで、道熊能からあり得ない馬鹿力を剥奪する。

くたばれ道熊能。

「ぎゃあああああああ! がはああああああ! はぐっ、はぐっ、ぐおおおあああへぶうああ!」

なんか、面白い叫び声を上げて苦しむ道熊能。

ふふふ、これぞ神の力。思い知ったか。

鉄格子を破壊し、檻を出てきた途端に苦しみのたうち回る道熊能に、飼育員の二人は驚き戸惑っている。

「はぐっ、はぐっ、ど、どうだ。出てやったぞ、木村。」

道熊能は後ろ足で立ち上がり、二人の飼育員を見下ろして勝利を宣言する。

「ま、待ってくれ。俺は、俺は反対だったんだ。檻に入れるんじゃなくて、山に返すべきだって。でも、木村さんが……」

「水島、テメエ……!」

木村を売り、一人助かろうとする水島。

「ちちちちちち近寄るなあああ。」

ずんずんと距離を詰めてくる道熊能に、木村は恐れをなし、腰を抜かしながら悲鳴を上げる。

「俺に手を出してタダで済むと思うなよ! 人間を殺したクマは殺処分される。必ずだ!」

涙目で叫ぶ木村。

道熊能は構わず、木村の脳天に自らの額を叩き込んだ。

衝撃で吹っ飛び、倒れ伏す木村。道熊能の方も伸びている。

「う…… 俺は……?」

呻きながら立ち上がる木村。

目の前に倒れている道熊能を見ていきなり高笑いをする。

「ふふふ、ははははははは! 勝った。俺は勝ったんだ。」

天を仰ぎ、涙を流す木村。気持ち悪い奴である。

「水島、直ぐにコイツに麻酔を。暴れられたら敵わんからな。」

「はい。」

水島は獣医師のところへ走る。

木村は事務室へ戻り警察に電話を掛ける。

「すみません、◯山動物園の木村と申しますが、一昨日の南区クマ出没についてお伺いしたいのですが。」

そして、何とか田村の入院先を聞き出すと、そこへ向かおうとする。

まさか。

まさか、お前、田村か?

また入れ替わったのか?

おい、答えろ田村!

木村はニヤニヤしながら動物園を出て、タクシーを拾うと、田村の入院している病院へと向かう。

病院の受付で、「クマに会っておかしくなったと言うなら、クマのスペシャリストとしてどうしても面会したい」と力説し、どうにか病室へ案内してもらう。

「話せる状態じゃないんですが。」

「構いません。」

看護師は念を押してから病室の扉を開ける。

病院の中には、田村が、いや、クマがベッドに拘束されていた。

「今は眠っているみたいですね。あまり刺激しないようお願いします。」

木村は看護師の言葉を無視して、超弩級の刺激を与えた。

つまり。

ヘッドバットだ。

何やら鈍い音が響き、木村が ベッドから崩れ落ちる。

「これを解いてくれ!」

田村が叫ぶ。

「頼む、早くしてくれ。コイツは、木村は俺を殺しに来たんだ。」

だが、何が起きているのか分からず、ただオロオロしている。

人語を解さず、ひたすら唸り暴れるだけだった男が、頭突きされた直後から突然言葉を話したのだ。そりゃあ驚くだろう。

「早く先生を呼んでくれ。俺はもう正気だ。」

田村に言われて、ハッとしたように、看護師は部屋を出て行った。

二分もしないうちに、精神科の医師が田村の病室にやって来た。

「あんたが医者ですか? 私は正気です。元に戻ったんです。これを解いてください。」

「一体どうして、それに、この人は?」

「その人はクマです。そいつが私の体を乗っ取っていたんです。」

血迷ったことを言う田村。そんなことを言っても誰も信じはするまい。

ただの精神がおかしい男と思われるだけだ。

「妄想が残っているようですね。引き続き入院はした方が良さそうだ。」

精神科の医師らしい返事だった。

「入院は継続で構わない。これを解いてくれませんか? これじゃあ、トイレにも行けないじゃないですか。もう、暴れたりしません。」

「わかった。約束だぞ。自殺しようとしたりもしないでくれよ。」

「やっと戻れたのに、死んでどうするんですか。」

医師は頷くと、田村の拘束を解いていく。

元に戻ってしまった。

何ということだ。

田村が人間に戻ってしまった!

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