第8話 檻の中のヒグマ
檻に入れられて二週間が過ぎ、木村はすっかり元気を無くしていた。
「ほら、木村さん。芸の一つでもやって見せてくださいよ。」
水島がニヤニヤしながら言うが、木村と呼ばれたヒグマは檻の隅で蹲ったままだ。
「ふぅん。エサも要らないんですね。」
木村の餌を握っているのは水島だ。
「助けてくれ、水島……」
木村が弱々しく言う。
「嫌ですよ。なんで私の言うことを一つも聞かないクマを助けてやるんですか。少しは自分の立場を弁えたらどうです?」
「ここから出してくれ。」
「泥棒クマはもう一生檻から出してやらんという話らしいですよ。私の先輩がそう言っていました!」
「俺じゃねえ!俺は泥棒なんてしてねえよ!」
「アナタじゃなかったら、誰なんです?どこからどう見ても、泥棒したクマはアナタです。ま、諦めて芸でもしていてくださいよ。」
水島は冷たく言い放つ。
「じゃあ、他の動物たちの世話もあるので、失礼。」
相変わらず隅で丸くなっている木村を嘲笑いながら水島は檻の前を離れていった。
そして、六月十日。
田村が再び動物園に現れた。
オッさん一人でウロウロしていても、意外と目立たない。
「あの、喋るヒグマっていないんですか?」
近くにいた係員に気軽に聞いてみる。
「貴様、何故それを知っている?何処の手の者だ!」
油断なく身構え、田村を睨みつける水島。
「いや、前にちょっとだけ話題になっていたじゃないですか。僕もクマと話をしてみたいんですけど。」
「あー、いやぁ、そうでしたか。ちょっと会ってみます?」
突如態度を一変させる水島。
「ほら、あの檻です。」
「あ、どうもありがとうございます。」
「木村!お客さんだ。」
水島がクマに声をかける。
「木村?」
「あ?ああ、あのクマは自分を木村だと思ってるんですよ。」
木村がしらじらしいことを言う。
「へえ、随分と変わったクマですね。」
そして、それは田村も同じだ。
「じゃあ、私はちょっと向こうで仕事してますので。何かあったらお声掛けください。」
水島はそう言って別室へと行ってしまった。
「良い様だな、木村。」
田村は静かに話しかける。
「誰だ?お前は。」
「誰だって良いだろう?それより、今の気分はどうだよ?他人を檻にぶち込んで偉そうにしてたよなあ。自分がそっち側になった気分はどうだと聞いているんだよ。」
「テメエ!まさか!」
木村は鉄格子を叩きながら叫ぶ。
「ドロボウグマは一生檻の中で芸でもして罪を償えば良いだろう?」
「俺じゃねえ!ふざけんな!」
冷静な田村とは対照的に、木村は頭に血が上り、バンバンと前足で地面を叩きながら喚く。
「いやいや、お前なんだよ。今はもう、お前がそのドロボウグマなんだって。違うっていうなら証拠を見せろよ。」
「そんなのある訳ねえだろ!くそ!そうだ、弁護士だ!弁護士を呼べ!こんなの、どう考えても人権侵害だろうが。舐めんじゃねえぞ!」
「莫迦だなあ。クマに人権なんてある訳無いだろう?」
「俺はクマじゃねえ!人間だ!」
「それは昔の話だろう?今のお前は何処からどう見てもヒグマなんだよ。」
「テメエがあのクマだな?殺してやる!テメエだけは絶対に許さねえ。」
「それはこっちのセリフだろうが。俺はお前にされた事を、そっくりそのままお返ししてやっただけだが?」
田村はかなり粘着質なようだ。
「お前は出てきてみろって言ったよな?俺は出たぞ?」
「くそ!俺を人間に戻せ!クマになんてしやがって!」
木村は必死に檻を叩き、鉄格子をこじ開けようとするが、びくともしない。
「くくくははははははは!」
田村の哄笑が檻の中に響く。
「そこから出てきてみろよ。根性入れて火事場の熊力出してみろよ。」
「ふぉーーーーーー!」
木村は変な叫び後を上げながら前足に力を込めるが、鉄格子は僅かでも歪んだようには見えない。
「ふっふっふっふっふ、はーっはっはっは。」
田村は笑いが止まらない。
「ざまあみろ、木村。俺を閉じ込めようとした罰なんだよ。お前が閉じ込められてろっての。ほらほら、芸でもしてみろよ。歌でも歌うか?」
田村、イヤな奴だなあ。
というか、この男の精神年齢はかなり低いようだ。
「クソォォ!テメエ!許さねえ!許さねえ!ぜってえ許さねえ!」
木村の激しい怒りの声に、水島が顔を出してきた。
「どうかなさいましたか?」
「ああ、ちょっと、クマさんが興奮しちゃったみたいで。」
「仕方ないですねえ。ほら、食え!」
水島が冷蔵庫から鶏肉を取り出し、檻の中に投げ入れる。
「お前、生だろこれ!誰がこんなもの食うか!」
木村は叫び、肉に齧り付く。
むしゃむしゃむしゃむしゃ。
「お前、いい加減にしろよ水島。生肉なんて寄越すんじゃねえよ!」
肉を食べ終わった木村が物凄い剣幕で叫ぶ。
「もっとくれって言ってるんですか?これは。」
田村が苦笑いしながら水島に訊く。
「天邪鬼なんですよ。このクマは。」
水島は肩を竦めながら言うが、その眼には嘲りの色しかない。