019 第三王子からの呼び出し
その後、数日は何事もなく過ぎた。
いや、何事もなかったのは数日だけだった。
「ハネシテゼ・デォフナハ、それにティアリッテ・エーギノミーアは昼食後、王宮に参じるように。二人の午後の演習は特別欠課とする。」
午前の講義の最後に、先生にそう告げられ、しばし呆然とする。
「ティア、一体何をした?」
「何もしていませんわ! 失礼なことを言わないでくださいませ」
フィエルが咎めるように言ってくるが、私には王宮に呼び出される心当たりなど無い。
ハネシテゼの方はいたって平静で、「一口に王宮と言っても、どなたとのご面会なのでしょう?」と質問している。
第三王子殿下だという返答をが聞けたのは良いのだが、そういうのは側仕えに任せておけば良いのではないかと思う。どうにも、ハネシテゼは何でも自分でやろうとする癖がある。使用人の少ない男爵家だとそういうものなのだろうか?
だが、そんなことは今はどうでも良い。食堂で昼食を済ませ、急いで自室へと戻る。
「午後の予定が変更になりました。第三王子殿下との面会です。内容は不明ですが、王子からの呼び出しですので相応の服をお願いします。それと、文の用意を。父上に至急の手紙を書きます。」
部屋に着くなり、側仕えや使用人たちに指示を出す。私からこのように言うのは初めてかも知れない。だが、今日突然の呼び出しという緊急事態なのだということは理解してもらわねばならない。
簡単に湯浴みをしている間に代筆を頼み、着替えの最中に手を伸ばして封をして速やかに王都邸へと走ってもらう。慌ただしいことこの上ないが、悠長なことも言っていられない。
寮の階段を下りていると、ハネシテゼも後ろから追いついてきた。
「ごきげんよう、ティアリッテ。第三王子殿下が突然、何の話でしょうね? この服装で失礼は無いでしょうか?」
「用件は私にも見当がつきません。服装は……」
私は自分の側仕え筆頭を見上げる。私より彼女の言葉の方が確実だろう。
「未成年者に対する緊急呼び出しなのですから、よほど酷くなければ、格について問われることはないでしょう。ハネシテゼ様が男爵家ということも考えれば問題ないと思われます。」
その言葉に、ハネシテゼは安堵の表情を浮かべるが、そんなことは側仕えの仕事ではなかろうか。そう思ったが、ハネシテゼの側仕えはかなり若い。もしかしたら、このような事態は経験が無いのかもしれない。
……私も、そう経験したくはないのだが。
玄関を出ると、二人で同じ馬車に乗る。私もハネシテゼも自分用の馬車は無い。というか、持っていたとしても、そんなものを学院の寮に置いておくことはできない。
王都の邸に言えば、馬車の用意くらいはしてくれるだろうが、今回はそれでは間に合わない。講義から戻る途中で、学院の馬車を貸してもらうということで話はしてある。
馬車に揺られながら、何の話だろうと思考を巡らせるが、ぐるぐると同じところを行ったり来たりするばかりで、溜息しか出てこない。ふと横を見れば、ハネシテゼは居眠りをしている。
非常識なのは知っているが、どこまで図太いのだろう? 事態を理解していないと言うこともあるまいに、何故、居眠りなどできるのだろうか。呆れて溜息しか出てこない。
そうしているうちに、馬車が止まる。小窓を開けて外の様子を窺うと、王宮の門を入るところだった。
「お嬢様、一度お顔をお見せください。」
馬車へ声をかけられて、私はハネシテゼを揺り起こし開かれた扉の前に立つ。冷たい風が吹き込んでくるが、借り物の馬車なのだから仕方がない。家紋も無い馬車の中に、誰が乗っているか外から分かるはずがないことくらいは私にも分かる。
扉が閉じられて少しすると、王宮正面口に到着する。馬車を下りると王宮の使用人に案内されて、石造りの廊下を歩いていく。
庭の見える寒風吹き込む廊下を進み、階段を登り、さらに廊下を歩く。ここは王宮のどのあたりだろう? 一体、どこまで行くんだろう? そんなことを考えていたら、一つのドアの前で使用人は立ち止まった。
「デォフナハ令嬢、およびエーギノミーア令嬢をお連れしました。御二方、こちらで王子殿下がお待ちでございます。」
案内してきた使用人が扉を守る近衛と私たちにそれぞれ告げる。近衛は室内に声をかけて確認してから重そうな扉を開ける。
扉の正面で跪き、不動のまま扉が開き切るのを待つ。扉の音がしている間は顔を上げてはいけなかったはずだ。
「ハネシテゼ・デォフナハ、第三王子殿下の呼び出しに従い、参上いたしました。」
ハネシテゼに続いて、わたしも同じように挨拶をする。本来の家格を考えれば、私が先のはずなのだが、『デォフナハ令嬢』の方が先に呼ばれている以上、私が出しゃばるものではない。
「そう畏まらなくて良い。中に入れ。」
そう言われて立ち上がるが、私はこの後のマナーまでは知らない。胸を張ってみるものの、どこまで進み出て良いのかも分からない。
静かに足を進めていくが、第三王子の周囲の近衛や側近の視線が痛い。心なしか、その視線がさらに厳しくなったような気がして足を止める。きっと、ここらで止まれということなのだろう。もしかしたら、出すぎているのかもしれない。
私が緊張に冷や汗を描いていると、ふっと王子が小さく息を吐いた。
「彼女らは一年生だ。少々の失敗は大目に見るべきだ。本来、保護者が付き添ったとしても、ここまで来ることのない年齢だ。入室の作法など、まだ教わってもなかろう。」
やはり既に何か失敗しているらしい。何を失敗したのか、どのようにするべきだったのかも分からないが。
「そちらに掛けてくれ。」
王子が指したのは、右手側のテーブルだ。使用人たちが椅子を引き、私とハネシテゼは並んで腰かける。これも、左右どちらに座るべきなのか判然としない。
そもそも、私とハネシテゼのどちらが上の立場なのかもよく分からないのだ、的確な判断なんてできるはずもない。
「そう緊張しなくても良い。」
そんなことを言われたって、緊張しないはずがない。ここには私をフォローしてくれる大人はいない。側仕えたちも、室外で待機しているのだ。
お茶が出されても、どうしていいのか分からない。
「遠慮する必要はないよ。」
そう言われて手を伸ばしかけるが、ハネシテゼはにっこりと微笑んだまま動かない。
「一体、どのような用件で呼び出されたのかも伺っていないのに、お茶に口をつけるわけにいきません。」
「随分慎重なんだな。」
「ええ、いつ、誰に毒を盛られるか分からないから注意しろといわれておりますので。」
王子殿下に向かって何を言いだすのだろうか。ハネシテゼが誰彼構わず喧嘩を売るのは、もしかして本人はそれと気付いていないのだろうか?
周囲の者たちの視線に険が籠るが、ハネシテゼの微笑は変わらない。