011 伝説の魔獣とは
父は、白狐に出会ったら最後、戦って勝つか殺されるかの二つに一つだと言う。
だが、私の記憶にある白狐はそこまで凶暴ではない。森で一人で出会ったなら恐怖に震えあがるだろうが、ハネシテゼに甘えている姿は可愛らしいとしか思わなかった。
「あれは白狐ではなかったのでしょうか?」
父の言い分との食い違いに、私は首を傾げざるをえない。全然違う獣を言っているなら、意見が違うのは当たり前だ。
「ティアリッテが会ったのはどのような獣なのですか?」
同じく首を傾げながら母が訊いてくる。
「大きさは、子どもの方で私よりも少し背丈が高かったです。親はその倍以上ありました。毛の色は白く艶やかで、触れてみると、滑らかで手触りがよく、柔らかで温かくてとても気持ちがいいのです。尾はふっくらと豊かな毛を持ち、長さは地につく程度よりも若干長いくらいでした。」
私の説明に、父も母も呆れたような顔をしている。
「手触りの話は良い。確かに白狐の毛皮は上等なものと言われているが、今はそこは重要ではない。どのような姿なのかを説明しなさい。」
もふもふが素晴らしかったことは是非とも語りたいのだが、その機会はなさそうだ。
「ふっくらとした頬から、スッとした鼻が伸びて黒っぽい鼻は湿り気を帯びていました。ピンと立った三角形の耳は先が赤みを帯びていまして、目は鋭く、睨めばそれだけで敵を殺せそうな力強さがありました。」
私が精一杯説明すると、父は「やれやれ」と首を横に振る。何かいけなかっただろうか。
「何やら凶暴と言うより勇猛な獣のように聞こえるが、姿形は白狐で間違いはなさそうだな……」
そう言って父はしばし考え込む。
「それで、どのように出会ったのです? 王都の外に出たのは魔獣退治の練習のためなのでしょう?」
母に問われて、私は順を追ってその日のことを説明する。
川沿いに行ったところで、ハネシテゼがネズミの群れを見つけたこと。
火球の魔法が効かずみんなが慌てていたところ、ハネシテゼが魔獣の群れを一撃で倒したこと。
それで終わらず、さらにネズミが出てきて、水の玉と私の爆炎魔法で攻撃したこと。
油断したところで、ネズミの反撃に遭い、子爵の子が一人だけ孤立してしまったこと。
ハネシテゼの指示で、私たちは残りのネズミを相手に戦ったこと。
そして、突如、森から現れた白狐がネズミを一瞬で全滅させたこと。
「ティアリッテの話は一々大袈裟で分かりづらい。もう少し分かりやすくまとめられるようになりなさい。」
「申し訳ありません。努力いたします。」
「魔獣退治の最中に白狐が現れて、魔獣を全滅させた、と。」
「はい。」
「それで、一瞬でというのは具体的にどれくらいだ?」
具体的にと言われても、すぐには分からない。指でテーブルを軽く叩きながら、当時の様子を思い出す。
「八から十二秒ほどです。森から走り出てきたのを見つけてから、十四秒も掛からずに、八匹のネズミを倒しました。」
「ネズミと戦っていた時間は?」
「四、五秒です。戦った、というのは語弊がありますが。私には一方的に殺していたようにしか見えませんでした。」
「まあ、白狐ならばそうなるだろう。」
当たり前だ、とばかりに父は頷く。が、母はその次を問題視していた。
「それで、白狐はネズミだけを狙ったのですね?」
そう言う母の口調はとても厳しいものだった。
「あなたたちは何かしたのですか?」
「いえ、何が起きているのかも分からなく、呆然と見ているしかできませんでした。」
「他の人は? 先生やハネシテゼは何をしていたのです?」
「先生は、やはり驚いている様子で、特に私が分かるようなことは何も……、ただ、ハネシテゼ様は、魔力を放出せよ、と何度も言っていました。」
「魔力を……?」
母は首を傾げて訝しげに眉根に皺を寄せる。
「そのあと、ハネシテゼは白狐と魔力のやり取りをして、仲良くなったのです。」
私が説明すればするほど、両親の眉間の皺は深くなっていく。
「えっと、このように魔力の塊を投げ合うのです。」
私は右手に魔力を集中して、小さな魔力球を指先に作りだす。
これの練習は毎日しているのだ。小さな魔力球を作るのはスムーズにできるようになってきている。
「何だ、それは……。ティアリッテ、お前は何をしている!」
突如、父が声を荒らげた。目を剥き、まるで恐ろしいものを見るような目を私に向けている。
「一体どうしたのです?」
母にも父の態度の理由が分からないようで、「落ち着いてください」と父を宥める。
「それは、魔獣の術だ。」
父が苦々しげに言う。
「それで何人死んだと……。私の、兄も! 父も! それにやられたのだぞ!」
そんな話は初耳だ。魔獣討伐で戦死したとは聞いているが、具体的にどんな攻撃を受けたのかまで聞いたことはない。
父の怒りと憎しみの篭った視線を受けて、私は身が凍りつく心地である。
「魔獣の放つそれは防ぐ手段がない。防壁も盾も貫かれてしまう。魔獣を魔獣たらしめる恐ろしい術だ。」
父の言葉に、私は違和感しかなかった。
ハネシテゼはこれをやり取りするのが挨拶と言った。
私も、投げて投げ返されてをしたら、白狐の方から歩み寄ってきた。
「防ぐ方法は、あります。ハネシテゼ様が見本を見せてくださいました。見様見真似で私にもできました。」
私の言葉に、父は何か言いかけて、口と目を固く閉じた。
「ハネシテゼ様は、あれを挨拶と言っていました。」
父も母も、私がハネシテゼに敬称を付けて呼ぶことを快く思っていないのは明らかだ。
だが、父や母の言っていることが本当に正しいなら、ハネシテゼは私の命の恩人ということになるのではないだろうか。
「ハネシテゼ様がそうしていなければ、私やフィエルの命はなかったのではありませんか?」
父は苦虫を噛み潰したかのような表情で黙って聞いている。
「魔獣と同じ術を使ったお前たちを同類だとでも思ったのだろう。私は、私は認めぬ。断じて認めるわけにいかぬ。」
父はそれだけ言って、椅子から立ち上がると部屋を出て行ってしまった。
父の側仕えたちも慌ててついて出ていき、母も腰をあげる。
「ティアリッテ。今日の話は先代様にも意見を伺わなければなりません。が、あまり引き摺るわけにもいきません。春までには結論を出しますので、あなたもそのつもりでお願いします。」
「承知しました。お母様。」
神妙に頷くほかはない。
目を伏せる私に、別れの挨拶をして、母も部屋を出ていった。