057 王都への帰り道
夜明け前、頬に当たる冷たい感触に目を覚ました。
辺りはまだ暗い。東の空は白んできているが、日の出まではまだ時間がある。
空を見上げてみると、何かが舞い降りてきているのが見える。暗くてその正体はよく見えないが、考えるまでもない。
暗さから考えると起きる時間には早いし、何よりもまだ眠たい。外套の中に顔を突っ込んで再び寝ようかとも思ったが、他の子も何人か上体を起こして周囲を見回している。
できるだけ早く王都に戻りたいが、暗い中を進むのは危険だし体力も使う。もうしばらくは休んでいたほうが良いはずだ。
だが、空から落ちてくる冷たいものは、段々とその量が多くなっていく。こんな状態ではゆっくり寝てもいられないではないか。私は身を起こして大きく伸びをする。
「雪が降ってきましたか。厄介ですね……」
ザクスネロも目を覚まして、恨めしそうに空を見上げている。
「止んでくれると良いのですけれど。」
「あまり期待しない方が良いでしょう。」
今はまだ道を見失うほどではないが、雪が積もってしまうと土地勘のない私たちが正しく進めるかは分からない。雪の勢いがさらに強まれば馬の足も鈍くなってしまう。
雪が降って良いことなど何一つない。
誰かが大きなくしゃみをすると、他の子たちも続々と目を覚ます。そして一様に空を見上げて「雪だ」と悲嘆の声を上げる。
「嘆いていても雪は止んでくれません。暗い中あまり動きたくないのですが仕方がありません。日の出前に出発しますので、いまのうちに食事なり用を足すなり済ませてしまってください。」
ハネシテゼの言葉に、周囲の者たちは動き出した。魔法で水を出して顔を洗ったり、用を足しに森へと行ったり、馬に荷を乗せたりと、出発前にやることはそれなりにある。
私も森に行って用を足し、ついでに焚き木になりそうな枯れ枝を幾つか集めてくる。同じようなことを考える人は何人かいるようで、何か所かに集めて焚き火にする。
雪が降ってくる中では少々頼りない火ではあるが、それでも無いよりは良い。明かりというほどの明るさはないが目印にはなるし、暖をとるというほどではないが冷えた指先をかざせば少しは温まる。
雲に覆われた空が少しずつ明るくなってくると、ハネシテゼは出発の号令を出す。
焚き火を消し馬に跨り、南東に向かって列をなして進み始める。振り向き見てみると、白い獣はじっとこちらを見つめているた。だが、彼らはついてくる様子はない。
少々名残惜しいが、今は彼らのことを気にしている場合ではない。王都までは晴れた昼間ならば三時間もかからないだろうが、薄暗い雪の中ではどれくらいかかるか分からない。
農道を抜け、街道を南下していけば王都に着くはずなのだが、道の先は雪に霞んで見えはしない。道を間違えずに進んでいるのか不安になってしまうが、他に分かれ道らしきものはなかったし恐らく大丈夫なはずだ。
そう思っているのは私だけではなかったようで、休憩の際にフィエルもその不安を口にした。
「そなたらは、帰り道を間違っていないか自信があるか?」
「あら、ここは来るときも休憩した場所ですよ? 覚えていないですか?」
そんなことを言われても、まだ薄暗い上に雪に霞んで遠くまで見通せないし、まったく確信を持てない。何故、ハネシテゼがそんなに自信満々なのかが全く分からない。
「魔力を撒いた跡があるではありませんか。魔物の死体がなくなってしまっているからではありませんか?」
そう言われて初めて気づいた。魔力を撒いた跡は正直なところ分からないが、撒いた魔力に惹かれて出てきた魔物を倒したまま、帰りに焼いて行く予定だったはずだ。それがきれいに姿を消してしまっている。
「死んでいたのではないのか?」
「いや、何かに食われたと考えた方が自然だろう。」
「その何かはどこにいるのだ?」
道に沿って魔物死体は転がっていたはずだ。それを食べなから進んでいれば、私たちの方へやってくるか、王都に向かうかだ。
「もしかして、かなり良くない状況ではありませんか?」
「この先、少し行ったところに橋があります。魔物は橋を渡れませんから、それほどひどい状況ではないと思いますよ。探した方が良いとは思いますけれど。」
私たちのせいで魔物を引き寄せてしまったのならば、責任もって退治しなければならない。すぐにでも自室のベッドで眠りたいところだが、我慢するしかないだろう。
休憩を終えて出発すると、二分もいかないうちに橋が見えてきた。ハネシテゼの言っていた通りであることに安心するはずの場面なのだが、何か違和感が残る。
「何だ……? これは魔力か?」
「敵です。全員、戦闘の用意をお願いします。」
ハネシテゼは杖を抜くと、馬の足を速めて一気に橋を目指す。私たちも魔力を腕輪に集中させ、いつでも魔法を放てるよう準備しながらそれを追いかける。
「橋のところ! 誰か戦っているぞ!」
雪に霞んで見えづらいが、橋のたもとで何かが動き回っている。いや、炎が見えた。少なくとも、魔法を使える者があそこにいるということだ。
だが、橋の周辺を取り囲む影の数は多い。退治するどころではなく、なんとか魔物の攻撃を凌いでいるといったところだろうか。
「私は右側からいきます。ジョノミディスは三人と一緒に左側へ!」
「分かりました!」
ハネシテゼが杖を振れば、橋の手前の魔物、真っ黒な狼は悲鳴も上げる間もなく雷光に貫かれて倒れていく。
私たちは橋の左側へと回り込み、ジョノミディスを先頭に次々と魔法を放っていく。水の槍が数匹の黒魔狼を水平に貫き、爆炎がまとめて何匹も吹き飛ばし、雷光が驚き慌てている狼を一掃する。
私たちの初手で黒魔狼の群はその数の大半を失い、あとは橋の下の者たちに向かっている数匹だけとなる。
「あれでは近すぎる。魔法は難しいぞ。」
「雷光の魔法ならば、狙った敵だけを撃てます。」
私とフィエルが一匹ずつ倒して見せると、ジョノミディスとザクスネロも雷光を放つ。二人はまだ遠くまで雷光を飛ばせないため、かなり接近しなければならないが、撃った直後に馬で離脱すればそれほど危険でもない。
ザクスネロを追いかけてきた魔物は、私とフィエルで始末する。
「済まない、助かった。」
「敵を引きつけるのも戦術の一つです。謝る必要はありません。」
残りは二匹だ。ジョノミディスが再び近づき雷光を放つ。一撃で一匹を倒し、そのままジョノミディスは離脱する。
「まだ終わっていない! 油断するな!」
フィエルが叫び、その直後、悲鳴が上がった。見ると、槍を持って戦っていた男の腕に最後の一匹が食いついていた。
まずい。
あの状態で雷光で攻撃たら彼を巻き込むのではないだろうか。
どうすれば良いのかと逡巡していたら、奥の方から影が飛び出してきて魔物に向けてナイフを一閃させる。
何故、あの魔物に飛び掛かっていけるのだろう。
この場にいる誰よりも小さいのに。単純な腕力ならば、彼女が最も弱いだろう。
だが、ハネシテゼは迷わず飛び掛かり、魔物首に刃を突き立て、その指で目玉を抉る。
無茶苦茶だ。貴族の品位も何もない。
だが、ハネシテゼの形振り構わない攻撃に、魔物もその牙をいったん緩めた。食いついていた男の腕を離し、大きく体を揺すってハネシテゼを振り落とす。
そして、狼の目がハネシテゼに向く。
直後、魔物はその場に崩れ落ちた。
私もフィエルも、魔物の隙を狙っていたのだ。魔物が自分から牙を離し、ハネシテゼを振り払ったのならば、私たちのやることは一つしかない。