039 傷ついた黄豹
秋が深まり今年最後の収穫が終わるころ、私たちは王都に向かう準備をはじめる。
冬になれば私たちは中央高等学院の二年生になる。雪が降りだす前に出発しなければ、王都にたどり着けなくなってしまいかねない。
沈んだ気持ちのまま側仕えたちが忙しなく働くのを眺めていると、乱暴に扉が開けられた。
「フィエルナズサ様。もう、子どもではないのですから、ノックくらいしてくださいませ。」
私の筆頭側仕えに苦言を述べられるが、御構い無しに声を上げた。
「ティア、急いで外に出る支度をしろ。町の外に黄豹が来たと騒いでいる。あれの担当はティアだろう?」
一瞬、フィエルが何を言っているのか分からなかった。黄豹は山に住んでいるのだ。それがこんなところに来るわけがないではないか。
「怪我をしているという話もある。山で何かあったのかもしれぬ。急げ。」
言うだけ言って、フィエルは部屋から走り出て行ってしまった。何が何だか分からないが、側仕えは既に着替えの準備を始めている。
玄関に出てみると、フィエルは私の馬も用意していてくれたようで、護衛の騎士と一緒に待機していた。
「黄豹はどこにいるのです?」
「街の門よりは外だろう。あれだけ大きいのだ、行ってみれば分かるだろう。」
馬に跨りながらフィエルに聞いてみるが、正確なところはフィエルも把握できていないようだ。
人通りの多い街の道を急ぎ、とりあえず街の門へと向かってみる。城の門から最も行きやすいのが南門だ。
門を出て辺りを見回してみても、それらしき姿はなかった。
「黄豹が町の近くに来たと聞いた。どこにいるか知っているか?」
「東門の方に出たという噂はございますが、真偽は確認できていません。」
「よし、行ってみよう。」
人で溢れている街の中の道を行くよりも、畑の畦道を走った方が早い。馬を急がせて壁の外側を回っていくと、黄色く、大きいものが見えた。
近づいていくと、姿は確かに黄豹のようだ。地面に蹲るようにしているのを遠巻きに見ている人たちがいる。
「怪我をしているな。」
「何があったのでしょう?」
目の前に来てみると、黄豹は全身が傷だらけである。艶のある立派な毛皮は、あちこちに裂かれたような傷があり、血に汚れていた。
「一体、どうしたのですか⁉︎」
馬から下りて畑に横たわる黄豹に駆け寄ると、巨大な獣は顔を上げた。
そして、低い唸り声を上げて私を睨んでくる。黄豹は私のことを忘れてしまったのだろうか? それともこの黄豹は、以前に仲良くなったものとは違うのだろうか?
よく分からないが、挨拶が必要ならばすれば良い。右手に魔力を集中し、黄豹に向けて放り投げる。
赤く輝く魔力の玉は、以前よりも遥かに力強くなっている。これならハネシテゼにも弱すぎるとは言われないだろう。
それを鼻先で突き押し返してくる。自分の魔力を受け取ってら次は黄豹の番だ。
だが、黄豹は魔力の玉を飛ばしてくることはなく、面倒そうに顔を下ろして目を閉じた。
「随分と消耗しているようだな。これほどの傷を負わされる相手とは一体どんな化物と戦ったのだ?」
「彼は勝てたのでしょうか……」
もし、黄豹が負けて逃げてきたのならば一大事なのではないだろうか。
「ティア、私は父上に報告に行く。万が一ということもあるからな。ティアは黄豹の面倒を見てやっていてくれ」
そう言ってフィエルは馬に乗って城へと戻っていくが、面倒を見るとはどうすれば良いのだろう?
「怪我の手当てとはどのようにするものなのですか?」
分からないなら聞いていくしかない。騎士ならば傷の手当ての方法くらい知っているだろう。
「傷口を綺麗に洗い流し、薬を塗り包帯を巻くという処置が一般的なのですが……」
黄豹の巨体では包帯など巻けないし、薬もどれほどあれば良いのか分からない。今すぐにできることと言えば水の魔法で傷口を洗ってやるだけだ。
水の魔法で前足の傷口付近を洗い流してやると、黄豹は片目を開けてこちらを見る。だが、そのまま閉じてしまった。
嫌がっている様子でもないし、続けて良いのだろうか。
血と泥のようなものが混じって固まったものをゆっくり丁寧に洗い流してやると、黄豹の表情が少しは緩んだような気がする。
「ティアリッテ様、この獣は何を食べるのですか?」
一通りの作業が終わると、遠巻きにしていた農民が恐る恐る近づき、聞いてくる。以前に会った黄豹は、狩った魔物を食べていたはずだ。ハネシテゼは野菜やイモを食べていたと言うし、結構なんでも食べるのだろうか。
「まだ収穫していないイモはありますか? いくつか買い取りいたします。」
そう言うと、農民たちは逃げるようにイモを掘りに行った。その間に、私は馬に括りつけてある桶を外し、魔法で水を注ぐ。最初から城門の外に出れば畑に行くつもりだったのだろうか、フィエルの準備の良さに感謝するしかない。
水面に手の平をつけて魔力を水の中に詰め込んでいく。ほんのりと赤い光を帯びれば水は簡単に持ち上がる。イモをこの中に入れて、火の魔法で加熱すれば茹でることができるだろうか?
試しに火魔法を使ってみようとしてみるが、上手く魔法を使えない。左手で水の魔力を安定させて、右手で魔法を使うというのは今まで練習したこともない。
「火が、火が出せません……!」
私がみっともなく右手を振り回していると護衛の騎士が怪訝そうな目を向けてくるので、やりたいことを言ってみる。
「同時に二つの魔法を使うのは高等技術でございます。いきなりできるはずがございません。」
そう言われても、今すぐにやりたいのだ。うーうー唸っていたら、黄豹の頭がのそりと動いた。
うるさかったかしら? 謝った方が良いかしら? そんなことを考えていたら、黄豹の巨大な口が開き私の左手の先にあった水の玉は食べられてしまった。
いや、水の玉だし、飲まれたと言った方が正しいのだろうか?
こちらを見て口のまわりを舐め鼻を鳴らす黄豹は、もっと欲しいと言っているようにしか見えない。桶に水を再び注ぎ、魔力を集中する。
今度は炎のように輝くまでぎゅうぎゅうに魔力を詰めて黄豹の口元に差し出すと、やはり、ぱくりと食べる。
十回ほど水を注いで魔力を詰めてを繰り返すと、黄豹は満足したのかゆっくり頭を横に振り、再び下ろして目を閉じる。
先ほどよりも随分と表情が穏やかになったような気がする。私は少しは役に立っているのだろうか。
赤藷をいくつか抱えた農夫が戻ってくると、とりあえず桶の水で綺麗に洗う。
さて、これをどうやって茹でよう?
水を持って火を、火で、火が出ない。
騎士に火の魔法を頼むわけにはいかないし、フィエルが戻るのを待つしかないだろうか。
だが、私は閃いた。
火の魔法を完成してから、水を持ち上げれば良いのではないだろうか。
やってみたところ、上手くいった。魔力の制御はとても難しいが、なんとか火を維持しながら、その上にイモの入った水を持っていくことができた。
何度か繰り返せば、水は手を触れられないくらい熱くなり、盛んに湯気を上げるようになる。
どれほどこうしていれば良いのだろう? ハネシテゼにもうちょっと詳しくイモの茹で方を聞いておけば良かったと思うが今更だ。
適当なタイミングでナイフを突き刺してイモを湯の中から取り出してみる。匂いは私の良く知るイモの甘い匂いだ。二つに切って片方をかじってみると、甘くてなにかトロリとした舌触りだった。甘いのは良いのだが、こんな不思議な食感は初めてだ。
とれたてのイモはこうなのだろうか? 畑で食べる野菜は美味しいとハネシテゼが言っていたのを思い出す。そういえば、私は収穫した野菜をその場で食べたことはなかった。