036 農作業のはじまり
私とフィエルで黄豹についての報告をしていると、父の眉間に皺が発生し、どんどんと深くなっていく。最初はそれでも相槌を打ちながら聞いていたのだが、最後には天井を睨んだまま黙り込んでしまう。
兄姉も、父の黄豹に対する憎しみは相当に深いとは言っていたが、実際、どれほどのものなのかは私には推しはかることができない。家族を失ったことのない私には、その痛みは想像することもできない。
「父上、思う所があるのは分かりますが、報告すべき事項は他にもございます。気を取り直して、聞いては貰えませんか?」
兄が取り成し、父は茶を口に含んでゆっくりと首を横に振る。
「言いたいことは山ほどある。だが、今は一つだけにしよう。」
父が念を押して確認してきたのは黄豹の危険性についてだ。端的に言えば、今後、黄豹によってどのような被害が発生するかということだが、正直言って、私には損害が発生する心当たりはない。
「騎士の仕事が減ってしまい、人が余ってしまう可能性があるかも知れません。」
それは黄豹による被害なのか、首を傾げざるをえないが、フィエルが思いつくこととして苦し紛れに挙げたのがそれだけだった。
「あなたたちは、本当に黄豹が人に害を及ぼさないと信じているのですね。」
そう言って、母と父は一緒に、何か諦めたように大きく息を吐く。
「もう良い。ティアリッテとフィエルナズサは食事を摂って休みなさい。」
話を聞きたくないとばかりに父は手を振るが、他にも報告をしなければならないことはある。
「お父様、青く、馬ほどの大きさのオオカミなのですが、その群れと遭遇したことは明日で良いでしょうか?」
「青鬣狼だと⁉ ラインザック、損害は無いのではなかったのか!」
「落ち着いてください、父上。人にも馬にも損害はございません。あの狼は、魔物を狩り尽くしたら、我々には手を出さず森へと帰っていきました。」
「ハネシテゼ様によると、互いに干渉しないという程度の距離感を保つくらいが丁度いいということです。」
友好的な関係を築くことには失敗したが、敵対種ではないという認識はもってもらえたらしい。
「その言葉は信用できるのか?」
「少なくとも、私たちに牙を剥こうとはしませんでした。」
父が言うには、青鬣狼という獣はとにかく気性が荒く、戦力差も考えずに見境なく攻撃してくるのが常だという。魔物相手の暴れっぷりを見ると、言いたいことは分からなくもないが、そこまで酷くもないと思う。
「まあ良い。損害が無いのならば何よりだ。今後、青鬣狼には近づくな。」
ハネシテゼにも不用意に近づくなと言われているし、私たちは素直に頷く。父はそれで話を終わろうとするが、オオカミの本題はこれからだ。
「一番重要なことなのですが、そのオオカミたちは、私が使用を禁じられた魔法を使っていました。」
そう言うと、父と母は揃って天井を仰いで頭を抱えた。しばらくそうしていたかと思ったら、やはり私とフィエルは食事を摂って休めと言う。
「この八日間、子どもたちを心配して胸を痛めてきた親を労わってくれ。」
疲れた声でそう言われ、私たちは執務室を追い出されてしまった。
「私の報告に不手際があったのでしょうか?」
「……たとえ事実であっても、旦那さまには受け入れ難いことばかりなのはお嬢様の責任とは言い難いです。お二人が大変お疲れなのも考えてのことだと思いますよ。」
あまりの扱いの酷さに側仕えに確認してみるが、私の落ち度ではないと言ってくれる。フィエルの側仕えたちもそれに同意し、食事へと促される。
お腹いっぱい食べてゆっくり寝たら、翌日から畑の仕事が待っている。
魔力を撒くと、嫌になるほどの魔虫が涌いて出てくる。農民たちと一緒に棒で叩き潰し、さらに魔力を撒く。それを何度も何度も繰り返して、やっと畑の一区画の処理が終わる。
一日で音を上げたくなってしまうが、そんなわけにはいかない。翌日は休みにしたいが、急がなくては種播きの時期が過ぎてしまうという。適切な季節に植えなければ実りは減ってしまうというのだから焦ってしまう。
ハネシテゼの決めた計画に沿って魔力を撒き、畑を耕して種を播いていく。そうなっていくと、魔物退治に参加できる農民の数も減っていく。力のある者には畑を耕してもらわなければならないし、一週間もすると、私たちと一緒に作業をするのは年寄ばかりになっていた。
「そういえば、農民の子どもはどこでどのような仕事をしているのだ? こちらの仕事を手伝ってもらうわけにはいかぬのか?」
ふと、フィエルが言い、農民たちは顔を見合わせる。言われてみれば、この畑に来ているのは大人ばかりで子どもたちを見たことがない。子どもを失った者たちを集めたなどと聞いたことはないし、どこか別のところで働いているのだろう。
「申し訳ありませんが、貴族様の前に出せるほど躾ができているわけではなく……」
「そのような心配は必要ない。今欲しいのは礼儀ではなくて労働力だ。」
フィエルがはっきりと「許す」と言うが、農民たちは困ったように顔を見合わせる。
「礼儀と言うならば、今のあなたたちも相当問題ですよ。城で跪きもせず口答えをすれば騎士たちに摘まみ出されますよ。」
農民たちは慌てて跪くが、別にそれについて文句を言いたいわけじゃない。話が進まないことが問題なのだ。
「子どもたちはどこで何をしているのですか? 他の仕事を放り出せと言うつもりはありません。」
後でもいいこと、遅れても構わないことならば後回しにして欲しいというだけだ。私たちは農民の生活について詳しく知っているわけではない。だが、畑以外にも生活に重要な仕事はあるのだということくらいは分かる。
「赤子の面倒をみる者、食事の用意をする者を連れてくることはできません。それ以外の特に決まった仕事を持たない子どもは連れてくるようにします。」
渋々と言った様子で、とても言い難そうにしているが、つまり、子どもたちの大半は仕事をしていないということだった。
赤子を放り出せば死んでしまうし、料理人が一日中忙しいのは分かる。洗濯や薪割りなど下人の仕事をする者が必要なのも言われれば理解できる。だが、仕事にも訓練にも勤しんでいない者がいるのかは理解ができない。
「では、六歳以上で仕事の無い子どもたちは連れてくるようにしてください。」
私たちとおなじ九歳以上にしようかと思ったが、ハネシテゼも畑で仕事をしていたことを思い出して六歳以上にしておいた。
翌日から虫を潰す担当が十人ほど増えて、仕事は捗るようになった。子どもたちが少々うるさいが、お喋りをしながらでも魔虫を潰しているならば咎めることもないだろう。
護衛の騎士は不満そうにしているが、畑仕事は長らく平民の管轄で貴族がくることなど無かったのだから仕方が無い。変化は少しずつにするのが成功するコツで、何もかもを一気にやろうとすると必ず失敗するだろうとハネシテゼは言っていた。
それは父たちだけではなくて、農民たちに対してもそうなのだろう。
実績を一つずつ積み上げて、それを示さねば誰もついてこない。私が今すべきことは、農民を咎めることではなく、実りを増やすという実績を出すことだ。
私たちが管理する区画は全部で七十。農民一人が耕す畑が二、三区画という話なのでかなり広い。そこに魔力を撒くのは私とフィエルの役割だ。
毎日やっていて、ハネシテゼが「嫌でも魔力は増える」と言っていたことが分かった。これは今までのどんな訓練よりも過酷で困難だ。
ゆっくり一年かけて魔力を撒けば良いのではない。どんなに長引かせても二ヶ月以内に種播きを終わらせなければならないのだ。
ひたすら時間に追われながら毎日力尽きるまで頑張っていたら、一ヶ月ほどで一日中魔力を撒けるようになっていた。