035 旅が終わって
「一体、何がどうなった?」
目の前で起きたことが信じられないといった面持ちでフィエルが誰にともなく問いかける。
「周辺の魔力をまとめて吹き飛ばしただけです。あんなことはわたしにもできません。彼らの魔力操作能力は、とても高いのです。」
ハネシテゼがそう言うのだから相当なものなのだろう。そもそも、黄豹たちも魔法を見て覚えることができるはずで、魔力の動きを見たり、操作することには長けているのは当たり前の話だった。
「通れるようになりましたので、出発しましょうか。かなり遅れているのですよね?」
ハネシテゼが声をかけると、デォフナハの騎士や従者たちが速やかに動きだす。それを見て、エーギノミーアの騎士たちも慌てて出発の準備を整える。
その間にフィエルとハネシテゼも黄豹と軽く挨拶を済ませている。代表は私ということで、ハネシテゼはかなり魔力を抑えてやり取りをしていた。
出発すると、何故か、黄豹も私たちの馬車の横に並んで歩く。
「ついてきてくれるなら、魔力を撒きながら行きましょう。」
どんな魔物が出てきても、黄豹が全部退治してくれるから安心して撒けば良いという。そんな風に黄豹を利用して良いものなのだろうか?
「心配要りません。魔力を撒くことで、もっと仲良くなれますよ。」
そう言われたら頑張るしかない。桶を馬車の屋根の上に引っ張り上げて、畑も森も関係なく魔力が続く限り撒き散らす。
すぐ横を歩く巨大な獣に、最初は怯えた様子を見せていた馬たちも、気にせずに前を向いていく。
何事もなかったかのように進んでいくが、時折、黄豹は列を離れてすぐにまた戻ってくる。この理由は明白だ。森から出てきた魔物を片っ端から蹴散らしているのだ。
だが、一つだけ分からないことがある。
「どこまで一緒に行くのでしょう?」
「それはわたしにも分かりません。ただ、魔力を撒いている間はついてくると思いますよ。」
黄豹は土地に魔力を与える存在を好ましく思うようで、ハネシテゼもたまに一緒に魔力を撒きながら魔物狩りをしているらしい。
「これでは我々のやることが無いな……」
何度目かの休憩の際に、黄豹の背の上に乗せてもらってもふもふを楽しんでいると騎士たちがぼやいているのが聞こえてきたが、私にはどうすることもできない。
こんな素敵なもふもふを追い返すなんてあり得ない。向こうから離れていくまで一緒にいたいと思うのは当然だろう。
だが、町に近づいてくると黄豹は森へと帰っていってしまった。とても残念だが仕方がない。日が沈んでしまう前に町に入らねば門が閉ざされてしまう。
騎士たちが何人か先行して閉門を待ってもらうように話をしているはずだが、あまり長い間開けっ放しにすることはできない。
「父上にあれをどう報告すれば良いのだ?」
「どうと言われましても、黄豹と仲良くなったと言えば良いのではありませんか?」
「父上があれを憎んでいることはティアリッテも知っていよう。」
夕食の折、長兄は苛立ったように言うが、変な誤魔化しはしない方が良いと思う。私は黄豹よりも、倒した魔物の種類と数の報告の方が頭が痛い。
「オオカミには嫌われてしまったことはどう言う?」
「嫌われたというよりも、機嫌を損ねたと報告した方が適切かと思います。」
仲良くはなれなかったが、別に敵対的な関係になったわけではない。変に干渉しようとしなければなんの問題もないだろうとハネシテゼは横から口を出してくる。
「何にせよ、魔物退治が一気に片付いたのは確かでしょう。件の狒々熊も何匹か蹴散らされていましたよ……」
「それでも、もう残っていないのか周辺を探索する必要はある。」
兄たちはとても疲れたように言う。
翌日は、朝から兄たちは別行動になる。魔物を探すのに、ただ街道を歩いているだけというわけにはいかない。道から外れて、森の中へ入っていき、魔物の痕跡だけでも掴まねば報告することができないらしい。
私とフィエルはハネシテゼとともに街道を進み山に入っていき、お昼頃に別れる。
「夏までにどれほど頑張れるかで収穫量が変わってきます。最初のうちは大変でしょうが、頑張ってください。」
「ハネシテゼ様もデォフナハ男爵様も、この度は誠にありがとうございました。」
あまり長々と挨拶をしているわけにもいかない。彼らは、これから先の山道を急がなければならないのだ。
「どうする? ティア。魔力を撒きながら行くか?」
「やめておきましょう。魔物が出てきたときの戦力に不安があります。」
今は兄たちもハネシテゼもいない。騎士はいるが、護衛のための人数しかいない。私たちの仕事は、もっと安全なところから進めていくので良いだろう。少なくとも、森の中を通る山道でわざわざ魔物を呼び寄せるようなことはすべきではない。
馬車に揺られて来た道を戻り、夕暮れには町に着く。兄たちは今日は町に戻る予定はなく、どこかで野営をしているはずだ。私たちはこの町にもう一日滞在して兄たちの帰りを待つ。
とは言ってもただ呆けているわけにはいかないので、周辺の畑に魔力を撒き、小さな魔物を駆除していく。私たちの魔力では半日も持たないが、それは仕方がない。ただ、無為に時間が過ぎていくのを耐えるしかないのだ。
私たちだけでこの街を治める小領主に挨拶に行くわけにもいかず、だからといって何かをする体力も残っておらず、ただ、宿の部屋でフィエルと二人で溜息をついているだけだ。
兄たちは日暮れ間近に戻ってきて、話を聞きながら報告書にまとめていく。冬籠りしていたであろう巣穴や、生き残りがいないかを探し回った範囲を地図を見ながら確認していき、要点を木簡にまとめていく。後で兄たちはそれをさらに整理したものをまとめて父に報告するのだ。
帰りは往路とは別の道を通っていくが、所要時間はほとんど変わらない。魔法の練習を繰り返す三日間を過ごして、やっと領都の城へと帰ってきた。
「やっと着きましたか。」
「毎日、朝から晩まで馬車というのも辛いものだな。」
馬車を下りて、私とフィエルがほっと息を吐いていると、兄が「これからすぐに父上に報告だ」と急いで着替えを済ませるように言う。
一休みさせてほしいと思うのだが、怪我も病気もないのだから、とにかく報告が優先だと言う。側仕えに促されて部屋に戻ると、濡れた布で手足の汚れを拭き取り、速やかに着替えさせられた。
「旦那様も奥様も大変心配しておりましたが。早く元気な顔をお見せしてご安心させてくださいませ。」
筆頭側仕えに言われて、何故、兄が報告を急がせていたのか、やっと分かった。ほんの半年前まで、私は城から出たこともなかったのだ。学院は貴族なら誰もが通る道だし、そう心配することでもないのだろうが、私は少し問題を起こし過ぎてしまっている。
廊下の途中でフィエルと合流して急ぎ父の執務室へ向かうと、すでに兄たちは揃っていて、魔物退治についての報告をしていた。
「お父様、お母様、ただいま帰りました。」
「思ったより元気そうだな。ちゃんと学ぶべきことは学べたのか?」
そう言う父も母も安心したように顔を綻ばせる。
「はい。畑のこと、野山のこと、魔物のことなど大変勉強になりました。」
「私たちも、未熟であると思い知らされました。予期せぬことも多くありましたが、今回は、貴重な経験を積めたと思っております。」
「予期せぬこととは? 一体何があったのです?」
「ティアリッテ、フィエルナズサ。まずは其方らから報告しなさい。」
長兄が私たちに話を振るが、一体、何が予期しなかったことなのだろうか?
黄豹と出会ったのは兄たちも驚いていたし予期していなかったのだろうが、他はどうだろう? 少しばかり考えても分からなかったので、とりあえず、黄豹と仲良くなることができたことについて報告することにした。