034 黄色くてもふもふ
森から出てきた魔物の数は多かったが、兄や騎士たちの頑張りというよりも、ハネシテゼとオオカミの蹴散らし方が凄まじかった。
二手に分かれて魔物を挟み込み、端から片っ端から潰していくのだ。巨体に似合わぬ俊敏な動きで、爪と牙でどんどんと魔物を屠っていき、囲みから逃げようと飛び出した魔物には尾を振って放った炎雷の魔法が襲い掛かる。
オオカミに王族の威光など関係が無い。獣たちの中で一体どう伝わっているのかは分からないが、彼らも当たり前のように炎雷の魔法を使う。
魔物を粗方倒し終えると、オオカミたちは森へと引き上げていった。できれば仲良くなりたかったのだが、仕方がない。
魔物の死体を集めて焼き払い、再び移動を開始する。途中で魔物に遭遇することは想定済みだが、少しばかり時間がかかり過ぎている。
空は晴れ、気持ちの良い日差しが注いでいるが、そのお陰で森の雪が解けて街道はそこらじゅう水溜りだらけになってしまっている。
道の泥濘が酷いと、私たちも一度馬車を下りなければならない。その度に騎士の後ろに乗せてもらうのだが、これがまた面倒である。兄たちは自分の馬に跨っているが、残念ながら私用の馬はまだ用意されていないのだ。
あまりにも道が酷いときは、ハネシテゼが魔法で水を吹き飛ばし、地面を均したりするのだが、さすがにそれをずっと続けるほどの魔力の余裕は無いらしい。
途中で休憩を挟み、苦労しながらも進んでいると、本日二回目の魔物がやってきた。
巨大な甲羅と巨大な口を持つ、やたらと不格好な緑色の四本足の生き物は、とても臭い息を吐き、非常に気分が悪くなる。
「なんという臭いでしょう! 私は我慢なりません!」
怒りの沸点がやたらと低いハネシテゼが飛び出していくが、今回ばかりはデォフナハ男爵も止めようとしない。むしろ、鬼の様な形相で魔物を睨みつけている。
騎士に馬を下りてもらい、ハネシテゼは一人で一番前まで駆けていき魔物と対峙する。
既に杖は高く天を指して、その先には巨大な魔力の玉が浮いていた。
「何をするつもりだ! ハネシテゼ・デォフナハ!」
「あの魔物を倒します!」
「あれに魔法は通じぬ! 知らぬのか?」
「先日お教えしましたでしょう? これが、魔力を飽和させる攻撃です!」
ハネシテゼが魔物に向かって杖を振り下ろすと、眩い光を放つ魔力の玉が魔物に向かって飛んでいく。鈍重な動きで近づいてくる魔物は、それを避けようともせずに直撃した。
一歩、二歩、三歩。
それが、その魔物の限界だった。一度、大きく痙攣したかと思ったら、そのまま動かなくなる。
「終わったのか?」
「暫く近づかない方が良いですよ。あの周辺は魔力が濃いですから。」
ハネシテゼの説によれば、体が大きい魔物ほど、大きな魔力を持っている。そして死ぬとその魔力が周囲に溢れだすのだ。
しかも、今回はハネシテゼの渾身の魔力が叩き込まれているのだから、相当な魔力があの周辺には満ちているのだろう。
これ以上旅程を遅らせたくはないが、少し待たねば横を通り抜けることも叶わないという。魔法を使える私たちは、少々魔力が濃くても耐えられるが、一番の問題は馬が耐えられない可能性があるということだ。
こんなところで、無駄に馬を犠牲にするわけにはいかない。しばらく馬には草でも食んで休んでいてもらった方が良い。
「魔力が濃いと、魔物も寄ってくるのではありませんか?」
「小さいのは、勝手に寄ってきて勝手に死んでますよ。」
畑でよく見た魔虫の類は、今も既に集まって来ていて、ある程度近づいたところで魔力の取り込みすぎで死んでいるらしい。
それをハネシテゼは「飛んで火にいる夏の虫と同じです」というが、何か釈然としない。
「そんなことよりも、来ましたよ、ティアリッテ様。今度こそ頑張ってください。」
ハネシテゼが指差す先は森の木の枝が派手に揺れ、巨大なものが迫っているのがすぐに分かった。
「黄豹だと⁉」
「何故こんなところに!」
兄や騎士たちが騒ぐが、ハネシテゼは「落ち着いてやれば大丈夫です。練習ではできていたのですから」と私の背中を押す。それに促されて黄豹の前に進み出ていくが、正直言ってとても怖い。
少し離れたところで立ち止まり、低い唸り声を上げながらこちらを睨んでいる様子は、まさに恐ろしい獣そのものだ。それを見ると、父が「黄豹と仲良くするなど不可能だ」と繰り返していたのも理解できなくもない。
だが、問答無用に無差別に襲い掛かってこないところをみると、敵対しない道は存在することが確信できる。
兄たちの「戻れ」という声を無視して、私は馬から下りてさらに前に出る。右手を高く上に伸ばし魔力を集中していくと、次第に指先がビリビリとしてくる。
必死に精神を集中して手の先の魔力の玉に力を籠めていき、限界だというところで手を振り下ろす。
深紅の魔力の玉は黄豹に向かって飛んでいき、黄豹は前足で受け止めると暫し眺め、鼻で押し返してくる。それを受け止めるのが第一段階だ。元は自分の魔力なので再吸収できる。すこし、全身の魔力が過剰気味になって気分が良くないが、これは我慢するしかない。
そして黄豹が軽く吼え、黄色い魔力の玉を飛ばしてくる。軽く飛ばしただけのように見えるが、それだけでも私の数倍はありそうな魔力の塊だ。両手で受け取ると、何度も練習したステップで一回転して黄豹へと魔力の玉を投げ返す。
今回は失敗せずにできたことに安堵すると、一気に疲労でへたり込んでしまった。足下は泥だらけなのだが、そんなことを言っていられるほど体力が残っていない。
大きく肩で息をしていたら、いつの間にか黄豹がすぐ目の前に来ていた。兄たちが「逃げろ」と悲鳴のような声を上げているが、私にはそんな力は残っていない。
次の瞬間、黄豹は大きな口を開け、私の上半身はすっぽりとその中に入ってしまった。
「た、食べられる⁉」
そう思って思わずジタバタと暴れていたら体が持ちあげられ、足に生ぬるい水がかけられる。そしてその次には、私は宙を舞っていた。
もはや、何がどうなっているのか分からない。
暖かで柔らかい絨毯の上に落っこちて私はゆっくりと身を起こす。兄たちの叫び声に周囲を見回してみるが、兄たちや馬車の姿が見えない。
「ティアリッテ様、下手に動くと落ちてしまうのでしばらくじっとしていてください!」
ハネシテゼの声が聞こえるが、ここは一体どこなのか? 大声で聞いてみると返事がきた。
「そこは黄豹の背の上です。体が回復するまで休んでいてください」
そう言われてみれば、手の下の黄色くて暖かで柔らかな毛皮は黄豹のものによく似ている。試しに寝そべってみると、とても寝心地が良い。
もこもことした手触りはとても気持ちよく、いつまでも撫でていたい気分だ。だが、あまりのんびりとしていられないことを思いだしてしまった。
「どうやって下りるのですか?」
聞いてみると、後足を伝って下りるのが一番簡単らしい。ハネシテゼの指示でもこもこにしがみつきながら滑り降りていくと、無事に地面に下りることができた。
「では、あの魔物の処理をお願いしちゃってください。」
「そんな簡単に言われても、どうすれば良いのか分かりません!」
ハネシテゼは自分ができることは当たり前のように言うから困るのだ。とりあえず魔物の方に向かって指差して「あれをどうにかしたいのです」と言ってみると、言葉が通じたのか黄豹がゆっくり近づいていく。
そして、前脚を振り上げたかと思ったら、凄まじい勢いで魔物の甲羅に叩きつけた。
一体、何をどうしたらそうなるのかは分からない。だが、起きた結果は分かった。
魔物の周辺に溢れていた魔力はその一発で吹き飛び、畑の方に散っていた。