033 こんなの想定外です!

領都から東に二日ほども行けば、丘陵地帯というよりも山岳地帯と言った方が相応しい様相となってくる。

遥か遠くに霞んでいた山々は目の前に聳え、これからの道のりの大変さが心配される。

「あれをそのまま越えるのではなく、少し南に迂回すると通りやすい道があるのだ。通常はそちらを行った方が早い。」

この辺りの地理を詳しく解説し始めたが、兄たちの魔獣退治の予定地はこの少し先らしい。

「魔獣とは何が出るのですか?」

「クマだ」

「兄様、狒々熊をただのクマのように言わないでくださいませ。」

長兄の返答に苦情を申し立てたのは姉だ。狒々熊といえば、八本足の巨大な熊で、上半身を起こせば馬車よりも上背が高いという魔物だ。

「お気をつけて下さいませ。この時期の獣は飢えて凶暴化しているものが多いと聞きます。」

「だから我々が退治せねばならんのだ。平民では手に負えまい。」

そういうところに自負と誇りがあるのは良いのだが、畑に関しては完全に邪魔になっている。文句を言ったり、根拠もない反論をしたりということはしなくなったが、それでもいきなり農民と協力するということは受け入れるのが難しいらしい。

「ラインザック様! 魔物です!」

馬車の中で話をしているところに、騎士たちが慌てた様子で声をかけてくる。随分と焦っているようだが、何の魔物だろう?

開けられた扉から外の様子を窺ってみると、すぐに見つけられた。土が剥き出しになっている斜面を登った先をクモの群れが動き回っている。

馬車を止め、兄たちはすぐに戦闘準備に入る。私は自分の馬車に戻り、その場から離れる。ハネシテゼたちデォフナハ一行も魔物退治に加わりはしない。

ハネシテゼは出るつもり満々のようだが、男爵に捕まり馬車の中に放り込まれてしまった。

予定していたものとは違うが、あれは兄たちが退治すべき相手なのだ。

列を成して騎馬が斜面を駆け上がっていき、攻撃を仕掛けるとまたすぐに引き返していく。その動きに誘き出されて斜面を下りてきたクモに魔法が次々と降り注いでいく。

土が剥き出しのところに水魔法をぶつければ、土ごとクモは滑り落ちる。斜面の下で折り重なるように集まったところに火球が放たれ、さらに火柱がその姿を覆い隠す。

炎から這い出てくるクモは爆炎の魔法で押し戻され、あるいは槍の前に地に伏していく。

「馬車を止めてください。わたしも出ます。」

「魔物退治は彼らに任せておきなさいと言っているでしょう。」

「いえ、森の守り手が近くに来ています。あのクモは追われて森から出てきたのではないでしょうか。彼らと敵対しないよう伝えなければなりません。」

真剣な顔で言うハネシテゼに、デォフナハ男爵も馬車を止めるよう御者に命じた。

ハネシテゼは馬車を下りて騎士を呼び、二人乗りで崖の上に走っていく。私とフィエルも、騎士の後ろに乗せてもらってその後を追いかけていく。

斜面の上に出ると、逃げるクモを騎士たちが追いかけていた。不思議なことに、クモは森に逃げ込もうとはせず、森の際にそって走っていく。

だが、その理由はすぐに分かった。

突如、森の奥が騒がしくなり、いくつもの魔物が飛び出してきた。クモだけではない、ネズミやイタチのような奴らもギャアギャアと喚きながら騎士たちの前に出てくる。

「一旦下がってください!」

器用に小さな爆炎を幾つも放って魔物と騎士たちを引き離し、ハネシテゼが叫ぶ。また叱られるんじゃないかと思ったが、その理由が目に入り、私も同じように叫ぶことになった。

「お兄様! 全員集めて体勢を整え直してください! この数倍は出てきます!」

森の奥で暴れているものがどんどん近づいてきている。それに追われて、魔物がこちらに向かってきているのだ。

斜面の上でクモ退治をしていた騎士たちもそれには気付いたようで、やはり「全員集まれ」と叫びながら戻っていく。

私も大人しく騎士の後ろに守られているばかりというわけにもいかない。数え切れないほどの魔物がこちらにも向かってきているのだ。

フィエルの乗った騎士と馬を並べて雷光の魔法に集中する。至近距離まで寄ってくる魔物は騎士が退けてくれると信じるしかない。

時間をかけて集中し、丁寧に制御した雷光の魔法は十以上の魔物を貫く。フィエルの放った雷光も同じくらいの数の敵を倒し、私たちの周囲からは魔物たちが遠ざかっていく。

ハネシテゼの方は凄まじい。杖の一振りで一瞬にして数十の魔物の命が掻き消える。さらに馬車の方へと走る魔物を追いかけて、片っ端から殺していく。

そうしているうちに、森の奥で暴れていたものたちが私たちの前に姿を現した。

青いたてがみに白っぽい躰、馬ほどの大きさのオオカミの群だ。

「ティアリッテ、フィエルナズサ、森の守り手です! 行きますよ!」

そう言ってハネシテゼは巨大な魔力の玉を魔物に向けて撃ちだす。直撃を受けた魔物から放射状にバタバタと倒れていき、オオカミの群は一斉にこちらに首を向ける。

かなり、とても、怖いのだが、ハネシテゼが行くと言っているのだから、行くしかない。騎士は「危険です」なんていうが、たぶん、ハネシテゼから離れる方が危険だ。

仕方が無いので馬から下りて走っていくと、渋々といった様子で騎士もついてくる。ハネシテゼがゆっくりと近づいて行くと、オオカミの方も動く。群れのボスなのだろうか、一際大きな一頭の左右に一頭ずつが並んでハネシテゼの前に出てきた。

ハネシテゼも馬から下り、私とフィエルはその両隣に立つ。馬から下りると、オオカミはとても大きく見える。

私たちの十数歩ほど前のところでオオカミは止まり、こちらを注意深く観察するように睨んでくる。と思ったら、中央のオオカミが前足を軽く振って魔力の玉をハネシテゼに向けて飛ばす。

ハネシテゼはそれを左手で受け、くるりと華麗に一回転してそのまま投げ返す。すると、横の二頭も、私とフィエルに向けて魔力の玉を飛ばしてくる。

だが、こちらに向かって突進してくる数頭の魔猪が視界の端に映った。

それに気を取られ、半ば反射的に爆炎の魔法で迎撃したせいで、オオカミの魔力の玉への対処が遅れてしまった。ハネシテゼが寸前で弾いてくれたお陰で助かったが、あれが直撃していたら死んでしまうところだ。

気を取り直してハネシテゼが魔力の玉を投げるが、オオカミは前肢でぺしりと弾き飛ばしてしまう。私とフィエルも投げてみるが、やはり弾き飛ばすだけで投げ返してはくれなかった。

そして、ふんっと鼻を鳴らすと、くるりと振り返って残った魔物の退治に行ってしまった。

「嫌われてしまいましたね……」

「そんな……、あれは私が悪いのですか?」

「彼らとしては気に食わなかったみたいです。」

今回は運が悪かったとハネシテゼが慰めてくれるが、失敗には違いない。

「そんなことよりも、魔物を退治してしまいましょう。間違っても、オオカミと騎士たちが衝突しないようにしなければなりません。」

挨拶には失敗してしまったが、魔力の玉のやり取りができる以上、あのオオカミは敵対してはいけない相手だ。兄たちにも念を押しておかなければならないだろう。

再び騎士の後ろに乗せてもらい、魔物を片っ端から退治していく。最初は、あの憎き魔猪だ。大事なところを邪魔したあいつらは絶対に許さない!

怒りに任せて魔法を放つと、何故か炎雷が飛び出ていった。そんなつもりは全然なかったのに何故だろう?

「ティア、その魔法は使ってはならぬと父上に何度も念を押されたはずだぞ。」

「違うのです、フィエル。そんなつもりはなかったのに、何故か炎雷の魔法になってしまったのです。」

咎めるように言われて弁明をするが、横でハネシテゼは呆れたように首を振っている。どうしてそうなったのか、理由は見当がついているのだろうか。後で教えてもらおう。

とにかく、今は魔物の退治が優先だ。

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